「胸ポケットからスポイトのようなものを取り出して、お茶に何かを…」統合失調症の娘と暮らす父が密かにしていた“許されない行動”〉から続く

 統合失調症の姉と、病気を認めず、病院に連れて行かず、長期にわたって自宅で面倒を見る父と母。その日常をビデオに撮り続ける弟——。2024年公開のドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』は、そんな家族の記録である。

 同作の監督・藤野知明氏が先月末、映画と同名の書籍『どうすればよかったか?』(文藝春秋)を発表した。

「姉は病気なのだから、病院に連れていけばよかった」という一見明解な正解や正しさは、当事者の現実に必ずしも結びつかない。

 そうした「ままならなさ」を生きる家族について、監督であり、著者であり、そして当事者のひとりである藤野氏に話を聞いた。(全4回の3回目/4回目に続く)

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©2024動画工房ぞうしま

『どうすればよかったか?』は、何のドキュメンタリーなのか?

――映画『どうすればよかったか?』は、統合失調症のお姉さんのドキュメンタリーだと思われがちですが、実際はそう言い切れるものでもない。そのために多様な感想が生まれる作品だと思いました。

藤野 第一に、「姉のドキュメンタリー」では全くありません。では、『どうすればよかったか?』は、何のドキュメンタリーなのか?

 これは、姉が統合失調症を発症した時、父と母、そして私が、どう行動したのかのドキュメンタリーです。受け入れがたい事実に直面した時に、人はどう行動するのかの記録なんです。

――映画もそうですが、今回の書籍にも、冒頭に「姉が統合失調症を発症した理由を究明することを目的にしていません」とあります。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

藤野 もし映画に精神科医が出てきて、病気についての解説を始めたら、それでは医療ドキュメンタリーになります。実は最初、専門家に監修してもらえないかと思い、企画の説明をしたことがあります。ところが、「そういう内容なら協力できない」と言われてしまった。だから、『どうすればよかったか?』は、医学的な監修を一切受けていないんです。

 でも結果的にそれでよかったと思っています。この映画は、私を含めた家族の映画だとフォーカスがはっきりした。これは統合失調症のドキュメンタリーではない。だから病気の説明もしないし、姉がなぜ発症したのかの原因の究明もしない。そもそも統合失調症が発症する原因が医学的にわかっていないので、姉が発症した原因を究明しようとすること自体意味がありません。

「ご両親の判断は正しかった」

――先ほどもうかがいましたが、医師でもあるお父さんが、お姉さんを精神科に連れて行かなかった要因のひとつには、医療への不信があった。

藤野 そうだと思いますよ。映画を公開したあと、高齢の精神科医の方から「あなたのご両親の判断は正しかった」との感想をもらいました。姉が統合失調症を発症した1980年代当時の病院の実態を知る人からすれば、家族を入院させなかったことには一定の根拠があると言うんです。

 父はただ単に、家族に統合失調症の患者がいるのは恥ずかしいから、姉を病院に連れて行かなかったのではなかった。色々なジレンマを感じていた。結論だけをいえば、「もっと早く姉を病院に連れて行くべきだった」となりますが、父は父なりに、自分の中での最善を選んだのだと思います。

 それに父は、大正生まれです。精神病の患者や家族に対する、戦前からの日本社会の差別や偏見の歴史を知っています。

――そういえば、かつての日本では、精神障害を含む障害者への断種(強制不妊手術)が行われていました。

藤野 今、「かつて」と言われたけれども、断種は1996年まで日本の法律では認められていました。割と最近まで行われていたんです。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

誤った行為かもしれないけど、映画を公開する必要がある

――映画『どうすればよかったか?』での藤野さんは、作品の監督であると同時に、家族のひとりでもある。そのため、映画の反響を、それぞれの立場で受けることになります。

藤野 そのことは理解しているつもりでいましたが、公開が近づくにつれて、当事者である面を強く意識するようになりました。姉の遺族は、私だけではありません。統合失調症の親族がいることを理由に、親戚たちが差別されないとは言い切れないですから。

 だからこの映画を公開することで、親戚たちとのつながりが切れて、私は孤独になってしまうかもしれない。でも、それは仕方のないことです。社会に対して、こういう家族がいたんだと伝えることのほうが大事です。ただし、できる限り親戚への影響はないようにはしました。それは書籍でも同様です。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

――映画では、ぼかしやモザイクでお姉さんの顔を隠したりしていません。書籍には「統合失調症の人も人間です。ぼかしの向こうにモンスターがいると思われたくありません」と書かれています。

藤野 統合失調症の家族がいることは、隠しておいたほうがいいのかもしれない。でも、みんながそうしていると、問題の存在自体がなかったことになる。存在しない問題は解決にもたどり着かないですよね。

 だから私は、この映画を公開することは、日本の伝統的な価値観からすると誤った行為かもしれないけど、公開する必要があると思ったのです。

精神科に入院するまでのプロセス

――書籍には、映画の感想の中に「カメラを回している暇があるなら、お姉さんを病院に連れて行くべき」といった声もあったと書かれています。映画を公開すると、こうした短絡的な声が当事者に向けられます。

藤野 いやいや、その感想は、特に短絡的なものでもないと思いますよ。私は割と率直な感想として受け止めています。たいていの人は、精神医療についての法律や実情を知らないですから。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

 たとえば、精神科への入院には、法律上、色々あるんです。本人の意思による場合、自傷・他害の危険があって行政が介入して入院させる場合、それと家族が代諾、つまり本人に代わって入院を承諾する医療保護入院です。通常は親が代諾する立場にありますから、私がいきなり姉を病院に連れていくわけにはいかないんです。

――お姉さんの場合は、お父さんが高齢となったことで、弟の藤野さんが代諾をします。

藤野 はい。それは姉の入院について、私が責任を負うことでもあります。だから書籍にも書きましたが、入院前、私は医師に、姉が入院後に入る部屋を見せて欲しいと頼んだ。すると「普段は見せませんが」といって見せてくれた。本来なら見せないところまで見せてくれたので、私は病院を信用して、姉の入院を決めました。入院後も、私は頻繁に見舞いに行きましたが、それは代諾した立場上、100%病院を信頼するのではなく、姉が入院中に虐待を受けていないか、体にアザができていないか、直接確認する意味もありました。

藤野知明『どうすればよかったか?』 ©佐藤亘/文藝春秋

「今この瞬間」はとても多義的だから

――映画『どうすればよかったか?』は、モザイクが使われていませんが、音楽も使われていません。それでも、SNSには、藤野さんの姉と父が花火を見上げる場面や、最後に姉が手をふる場面に心を揺さぶられたとの感想が多くあります。

藤野 たとえば、映像に音楽をつけると、そこに特定の意味が与えられてしまいますよね。「ここは悲しい場面です」という具合に、ひとつの場面がひとつの意味しか持てなくなる。すると“痩せた世界”になってしまいます。

 でも、現実の「今この瞬間」というのは、とても多義的です。嬉しい場面であり、同時に悲しい場面でもあり得る。それが実際です。映像そのもので何かを伝えるというのは、観る人それぞれが、どういう人生を歩んできたかによって受け取り方が違ってきます。

藤野知明さん ©佐藤亘/文藝春秋

 映像を観ている人の経験と、今この瞬間に映し出されているものがぶつかり、反応するものなんです。

 映画『どうすればよかったか?』に限りませんが、映像作品というのは、そうやって観た人それぞれの感想が生まれるものだと思っています。

「あの時のことは、今でも忘れられずにいます」統合失調症の娘について、医師で研究者の両親が交わした“衝撃的な会話”〉へ続く