日めくり立ち読み『感受体のおどり』

第23番

文: 黒田 夏子 (作家)

登場人物紹介

 夕皿(ゆーさら)の店の調理場に子猫がまよいこんできて,百皿(ももさら)が飼いたがり,客室へまぎれいりでもしたらこまると夕皿(ゆーさら)はとめたが,猫がいかにも小さいのであまりきっぱりとでもなく,つけいるすきがあると見られ,押しきられた.大小七つのへやで宴があるのは夕刻からの三百ぷんほどだけだし,夕皿(ゆーさら)たちの私室は長い廊をへだてて奥まっていた.そしてどんなしつけもまにあいそうに猫は幼かった.

 夕皿(ゆーさら)が名をきめた.姓があったことにおどろいた.もし猫や犬の姓をしいて呼ぶならば飼いぬしの姓とおなじだと,つまり拾い子もらい子として家族にくわわるのだとおもっていたが,住みこみのやとい人だけでも二十にんほどが入れかわり立ちかわりしている家でそだった夕皿(ゆーさら)きょうだいにとって,いっしょにくらすことになろうと他人は他人,子猫も他人,もはやまったく気にもとめずに着ているその鎧をふいにのぞかされた気がした.

 やとわれにきた日,私も夕皿(ゆーさら)によって呼び名をきめられた.まぎらわしい名でもあるのか,ならわしか気まぐれかと,こだわらないで受けいれたが,それは夕皿(ゆーさら)のもとではたらくかぎり夕皿(ゆーさら)のわりふった役しかさせない,私の意志で私をきめてはならないという宣言だったと翌日さとった.翌日,いきなり百もの符牒と百もの固有名詞の中にほうり出して,とまどうたび叱りとばすというやりかたで夕皿(ゆーさら)は私をねじふせた.あからさまに理不尽な支配はあからさまに理不尽な屈従を要求しているものとわかって逆らわなかったので,調教は一にちでおわり,夕皿(ゆーさら)はそののち二どと私を叱らなかった.

 料亭の帳場というしごとがなにをするのかけんとうもつかないまま,ただ踊りをやめなくてもすむ勤務時間だったのできいてみる気になった私は,やといぬしそのひとにはともかく,その子で私よりも千にち若い夕皿(ゆーさら),さらに千にち若い百皿(ももさら)に,あとからおもえば気らくすぎる態度を示したらしい.夕皿(ゆーさら)の親の癇癖にどのくらいみながおびえているか,次代のあるじである夕皿(ゆーさら)をどのくらいあがめなければならないかを知らなかったのどかさが夕皿(ゆーさら)の闘志をそそって,その私ではあらせないとべつの名でやとったのであった.値うちそのものに心服させようなどとおもわないくらいには夕皿(ゆーさら)はりこうだった.

 晩餐のしこみのおわった静かなまひるの調理場へ,子猫は魚のくずをもらいにつれていかれた.

感受体のおどり
黒田夏子・著

定価:1,850円+税 発売日:2013年12月14日

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