明治、大正、昭和を通じて、ジャーナリスト、評論家、政治家として活躍した徳富蘇峰は、文久三年(一八六三年)、熊本藩郷士徳富一敬の長男として生まれた。本名猪一郎。作家の徳富蘆花は弟にあたる。父一敬は後に明治維新に功績のあった横井小楠と縁戚関係にあり、郷土の開明的思想家だった。蘇峰は十代でキリスト教に関心を持ち、東京英語学校をへて、同志社に学び、新島襄により、洗礼を受けた。明治十九年(一八八六年)、「将来之日本」で論壇に登場し、翌年東京で民友社を設立、「国民之友」を発行。平民主義を提唱する。
明治二十三年、「国民新聞」を創刊、以来、代表的なオピニオンリーダーとして活躍する。日清戦争後、露独仏による三国干渉に激怒、海外視察を経て、日英同盟の締結を唱え、国家膨張論へとシフトしていった。山縣有朋や桂太郎ら政界の重鎮と交際を深め、軍備増強を支持。日露戦争開戦を契機に「国民新聞」は飛躍的に部数を伸ばした。しかし、ポーツマス条約調印を支持したため民衆の反感を買い、日比谷焼き討ち事件で社屋が襲撃された。
大正時代、大正デモクラシーの隆盛に対し、帝国主義と平民主義を統合した皇室中心主義を唱え、「近世日本国民史」執筆を始めた。満州事変以後、軍部との関係を強めた。終戦にあたっては、ポツダム宣言の受諾に反対し、戦後A級戦犯の嫌疑をかけられたが、老齢と病気により、自宅拘禁を条件に不起訴となった。熱海に蟄居し、中断していた「近世日本国民史」の執筆を再開、昭和二十七年(一九五二年)、全百巻を完結させた。当時、国会議員になって日も浅い中曽根康弘は彼をよく訪ねたという。昭和三十二年没。写真は昭和十三年十月二十七日撮影。
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