昭和二十四年(一九四九年)、湯川秀樹博士の日本人初のノーベル賞(物理学)受賞は、敗戦に打ちひしがれていた日本国民に大きな希望を与えた。
また、「世界平和アピール七人委員会」に名を連ねるなど、平和運動でも大きな足跡を残した。
写真は昭和四十五年(一九七〇年)春に定年退官で京都大学を去るのを機に、「文藝春秋」〈日本の顔〉用に撮影された。学問の神様、菅原道真をまつる京都市内の北野天満宮で、 「お祓いをしてもらうにしてもぼくのは何だろうね? 交通安全でも、厄除け、受験でもないなぁ。やっぱり勧学かな」
記者会見では「ぼくはこのあと専門の物理学はもちろん、古典文学や哲学を誰にもわずらわされずゆっくり勉強したい」。
春の京都の休日を楽しむ表情は、こころなしか緩やかだ。