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“ミスター競馬”野平祐二の和風趣味

“ミスター競馬”野平祐二の和風趣味

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 騎手として、また調教師としても活躍し、“ミスター競馬”と呼ばれた野平祐二は、温厚な性格で多くの人々から親しまれた。昭和三年(一九二八年)、千葉県船橋市生まれ。父省三も騎手であり、調教師だった。

「栴檀は双葉より芳し」の格言どおりに幼少の頃から馬に慣れ親しみ、尋常小学校卒業後、中学を辞め、競馬騎手をめざした。昭和十七年、尾形藤吉厩舎に入る。昭和十九年、初勝利を飾る。戦争の激化にともない宇都宮に疎開、馬の世話をするが、激務と栄養不良から、心身に変調をきたす。戦後の昭和二十一年、公認競馬が再開したのにあわせ、騎手に復帰する。

 名騎手と呼ばれた保田隆芳とともに、モンキースタイルを普及させた。

「昭和二十三年のある日、ニュース映画を見て外人騎手が、極端に短いアブミを使い馬の首にかじりつくようにして走っているのを見て感動し、日本人騎手の今までの乗り方を捨てて、“モンキースタイル”に転向。永いスランプを乗りこえ、フクリュウ号を駆って十三連勝という大記録を作った」(「文藝春秋」昭和四十三年七月号「日本の顔」より)

 翌年、野平省三厩舎に移籍。昭和二十七年、スプリングステークスで重賞初勝利をあげる。昭和三十二年、史上初の年間百勝をマーク。

 昭和三十四年、オーストラリアに海外遠征し、国外で日本人騎手として初めて勝利をあげた。昭和四十二年、スピードシンボリで春の天皇賞を制覇すると、昭和四十四年、四十五年に有馬記念を連覇。この間、昭和四十三年、保田隆芳に次いで通算千勝を達成する。

 写真は昭和四十三年撮影。オフの日は、琴とお茶に傾倒する純和風趣味だった。

 昭和五十年、父省三の死にともない、騎手を引退、野平厩舎を引き継ぐ。通算千三百三十九勝。重賞七十一勝という偉大な記録を残した。

 昭和五十八年、シンボリルドルフをデビューさせる。翌年、同馬は騎手時代には縁のなかったダービーを制覇、皐月賞、菊花賞も制して史上四頭目の三冠馬となった。さらに有馬記念二回、春の天皇賞、ジャパンカップも含め七冠という偉業を達成した。平成十二年、調教師を引退。翌年、肺炎のため亡くなる。

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