きみは赤ちゃん

第7回 恐怖のエアロビ

文: 川上 未映子


 そして翌週。「いま何回目?」という先生の言葉をわたしは笑顔で受けとめ、そして華麗に聞き流して、次のように答えた。「あ、入会はしたんですけれど、エアロビはべつのところでやってるので……」

 いっしゅん、院長先生の顔がぴたっと静止したように見えたけど、ほんとのところはわからない。するとつぎの瞬間「どこで?」という質問が飛んできたので、わたしは用意していた「自宅のリビング=スタジオ設定」を思いだし、あの、家のスタジオで……と答えようとしたのだけれど、なんかやっぱりでもそれは、家にスタジオってのは、ちょっと飛躍と解釈としてなんかやっぱ問題あるかも、と瞬時に思い直し、とっさに口をついて出たのが「あ、あの、家の近所の、スタジオで……」だった。思ってた以上にうろうろと自信のない声がでて、わたしはそのことにまず焦った。なんだよ! もっと堂々と言わないと意味ないじゃん! 嘘をつくのにあんがい慣れていなせいでのこの体たらく。情けないことこのうえないわ。表情だって頼りなかったに違いない。でも、いいだろう。これで説明はついたのだ。どこであろうとエアロビはエアロビなんだもん!

「どこの?」

「へ?」そこで話がきれいに終了すると思っていたわたしは先生の質問にへんな声がでた。

「どこの? なんていうスタジオ?」

「ど、どこのって……」

 エマージェンシーである。イメージ上の赤いランプが点滅してわんわん言い、酸素が完全になくなるまであと3秒、みたいな感じだった。しかしわたしは、小説家である。嘘を書き、日々の糧を得ている、いわば嘘のプロフェッショナルでも、いちおうあるのである。これくらいの窮地、受けてたったるわ……と鼻の穴をふくらませたわたしの口からでてきたのは、

「隠れ家的、な、スタジオっていうかその……」

 わたしは、わたしに言うたりたい。隠れ家的っていったいなんだよと。そして隠れ家の使いかた、完全に間違ってるから、と。


 そしてわたしは、翌日から週に3日のペースで併設スタジオに通うようになった。スタジオには臨月の妊婦、中期の妊婦、妊娠が発覚したばかりの妊婦が大勢いて、ほんとうのにものすごく足をあげて、額に汗をかきかき、猛烈に踊っている。はじめての日は、死ぬかと思った。でも、ひいひい言いながらも汗をかくと、なんだか爽快感かつ達成感がものすごくあるのも事実で、「エアロビ、あるで……」と、なんだかちょっとうれしかった。スタジオでは不正ができないように、カードにスタンプが押され、その日のことを細かく記入するためのファイルがひとり1冊、用意されている。院長先生の顔が目に浮かぶ。エアロビを制するものは、出産のすべてを制するのだ。踊って、踊って、踊りまくれ! ……ハッ、これってダンス・ダンス・ダンスっぽい……なんかいいかも……! とか思いながら、しかしこのような管理下におかれ、これからの約半年、わたしはこの任務をまっとうすることができるのだろうか。や、エアロビは任務でもなんでもないのだけれど……とにかく、この年齢になってまで、先生の顔色を気にしながら何かをがんばるなんて思ってもみなかったし、そう思えばまあ、これはこれで悪くないかな、とも思うのだった。しんどいけど。

きみは赤ちゃん
川上未映子・著

定価:本体1,300円+税 発売日:2014年07月09日

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