文春写真館

父が堅実な職業につくことを願わずにはいられなかった渥美清

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

父が堅実な職業につくことを願わずにはいられなかった渥美清

「男はつらいよ」で主役車寅次郎を演じた渥美清は、昭和三年(一九二八年)、東京の下谷に生まれる。本名は田所康雄。父は新聞記者だった。生来病弱で、学校も欠席がちだったようだ。昭和二十年三月十日の空襲で自宅が焼け、生活のためテキヤの手伝いをしたとされる。戦後、旅回りの一座に同行、喜劇俳優の道に入る。

 昭和二十七年、浅草のストリップ劇場の専属コメディアンになり、のちにフランス座に移る。ここには、長門勇、東八郎、関敬六らがいた。コント作家として井上ひさしもいた。しかし、翌年肺結核を患い、右肺を切除、二年間療養生活を送る。

 昭和三十四年、谷幹一、関敬六とともにスリーポケッツを結成するが、すぐに辞める。昭和三十九年、野村芳太郎監督「拝啓天皇陛下様」で俳優として評価された。

 その渥美清がなりたかったのは、郵便屋さん。

「僕のオヤジは若かりし頃、地方の新聞記者をやっていたことがあり、ささやかな気位もわざわいして失業に明け暮れていた。

 そんな時に生れた僕は、体が弱く知能指数の低いセガレで、オヤジにとっては出来るかぎり堅実な職業につくことを願わずにはいられなかったのだと思う。

 年金ももらえる郵便屋さんなら、というオヤジの切なる願いをふりきって僕は役者になってしまった。

 僕が親孝行なムスコだったら、きっとかばんを下げて町々を飛び歩いていることだろう」(「週刊文春」昭和三十八年七月一日号「私はこれになりたかった」より)

 昭和四十一年、TBSのドラマ「渥美清の泣いてたまるか」に主演する。昭和四十三年、フジテレビでドラマ「男はつらいよ」が始まる。半年間で終了したが、主人公の車寅次郎が奄美大島でハブにかまれて死ぬという結末に、視聴者からの抗議がテレビ局に殺到する。

 これを奇貨として、脚本を担当していた山田洋次は、昭和四十四年に松竹で映画化する。これが大ヒットし、渥美清の代表作となった。二十七年間にわたり四十八作が公開され、ギネス記録に認定された。

 私生活をいっさい公にすることなく、平成八年(一九九六年)、生涯を終える。

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