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『サウンド・オブ・サイレンス』解説

『サウンド・オブ・サイレンス』解説

文:大矢 博子 (書評家)

『サウンド・オブ・サイレンス』 (五十嵐貴久 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 第一段階では、まず聾とはどういう障碍なのか、それを春香が隠しているのはなぜかが物語の核になる。ここで気付かされることがある。聾と一口に言っても、その障碍や状況は人によって違う、ということだ。

 たとえば美紗は、生まれつきの聾唖である。両親も同じ障碍を持ち、生まれたときから音を知らない。だからそれが彼女にとっての常態だ。翻って春香は、五歳のときに病気で失聴した。親も春香の障碍を認めたがらず、健聴者の中で普通に生活できるよう努めている。そして澪は前年に交通事故で失聴したばかり。すでに大学生になっていた澪は、音ばかりか通訳になるという夢まで断たれた。

 美紗は手話はできるが読話(唇を読むこと)は苦手。口話(声を出して話すこと)もできない。しかしケータイのメール機能を使っておそるべき早さで筆談する。春香は手話も読話も口話もできるが、人前で手話をするのは「恥ずかしい」「みっともない」からしない。そして澪は、口話はできるが、手話と読話はこれから勉強するという新米の聾者だ。

 生まれつき音がない美紗と、聞こえていたものが急になくなった春香と澪。コミュニケーションの手段を持つ美紗と春香、持たない澪。大学のダンスサークルを辞めたのは、自分が「みんなの迷惑になっちゃうから」と言う澪。聾唖を気にせず積極的に人に関わる美紗。障碍を恥ずかしいと感じ、隠す春香。

 こんなにいろいろなんだ、と愕然とした。そして愕然としたということは、自分がいかに一括りに考えていたかの証左に他ならない。中途失聴と先天性失聴では感じ方が違うとか、聾の人がみな読話や手話ができるわけではないとか、少し考えればわかることなのに、その「少し考える」ことすらしてこなかった自分を突きつけられた。

 思えば、障碍者か健常者かにかかわらず、人は皆、違っていて当たり前なのだ。背の高い人、低い人。足の速い人、遅い人。運動が苦手な人、人前で話すのが不得手な人、友達をつくるのが下手な人……誰しも自分にコンプレックスを抱えている。自分の外見に、能力に、環境に、理想とは乖離した現実を見て落ち込むことは多い。

 春香は自分の障碍を受け入れることができず足掻く。さも健聴者のような振りをして、けれどそれは本当の自分じゃないこともわかっていて、苛立つ。それはありのままの自分を認められない私たちと同じではないか。

 そこで話は冒頭に戻る。これまでの五十嵐貴久の青春ものには「やればできる、努力すれば何かが変わる」という普遍のテーマがあった。そのテーマのもと、ヘナチョコの落ちこぼれたちが巻き返しを図った。しかしこのテーマは、彼女たちには必ずしも通用しない。落ちこぼれとかヘナチョコとかの問題ではないのだ。どんなに頑張ってもハンデは埋まらない。聞こえないという現実は変えられない。努力したってどうしようもないことはある。本書にはまず、その大前提がある。

 その上で、どうするか。やりたいことを、どう実現させるか。それを本書は描いている。だからこそ本書は、ヘナチョコ野球部でも落ちこぼれ高校生でもなく、聾のダンスでなくてはならなかったのである。

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サウンド・オブ・サイレンス
五十嵐貴久・著

定価:680円+税 発売日:2014年05月09日

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