「オール讀物」昭和二十七年(一九五二年)六月号に掲載された「われは二代目」と題する写真。キャプションには「あまりにも有名な童謡詩人、父君は紅涙を絞る感激小説で一世を風靡した佐藤紅緑氏」とある。確かに、人々の心を動かした父子であったが、その実人生の放縦さも父譲りであった。
明治三十六年(一九〇三年)生まれ。八郎(本名)が中学生のとき、父・紅緑が不倫から家を出て、両親は離婚してしまう。反発から非行、留置所送りを繰り返し、その結果退学、小笠原の感化院に送られるが、そこで父の弟子と生活を共にするうち才能を開花させる。西条八十に弟子入り、今東光や草野新平、宮沢賢治と同人誌活動で交流し、詩人として名をなす。戦後はエッセイストとしても活躍、この写真の当時はNHKラジオ「話の泉」のレギュラーとして人気を博すなど、多才の人であった。
「ちいさい秋みつけた」といった童謡の名作を数多く生み出すいっぽう、私生活では放蕩、奇行が多かったことは、妹である佐藤愛子氏の「血脈」に詳しい。
昭和四十八年(一九七三年)没。