大名行列をテーマとする長編小説の取材で、旧中山道を岐阜の中津川から東京まで歩いた。
むろん昔の旅程通りに10数日はかけられず、そんな体力もないから、3回に分けて切れぎれの道中である。ともかく昔の人と同じ目の高さ、同じ速度で観察しなければ、平成の作家が道中小説など書けるはずはないと思った。
子供の時分から放浪癖があり、長じては陸上自衛隊の「歩兵」連隊に所属していたくらいだから、脚にはいまだ自信がある。だにしても、昔の大名行列が重い荷を背負いながら1日に平均10里、すなわち約40キロメートルを歩いたという事実は、にわかに信じがたかった。一般の旅人ならば、むろんそれ以上であったろう。
旧街道には思いがけないくらい昔日のおもかげが残る。とりわけ旧中山道は、中央本線の開通によって急激に廃れたことがむしろ幸いし、その後の地元の努力もあって、みごとに保存されている宿場や旧道が多い。形が残れば文化が残る。 生活習慣、食事、方言、人々の気質、歩けば歩くほどそうした不変の文化が肌に感じられて、物語はとどめようもないほどに溢れた。
翻って思えば、形の残っていない大都市ほど、父祖の伝えた文化は残らない。生活習慣、食事、方言、人々の気質、たとえば私のふるさと東京などはそれらのことごとくを、無残に喪失している。時代小説を書こうとして江戸の町を歩き回っても、物語はかけらも思いつかず、そのまま作品にモデライズできるような江戸ッ子とは、ついぞ出会えない。
中山道の旅は、この140年の間に私たち日本人が、「陋習」だの「旧弊」だのと決めつけて、惜しげもなく葬り去ってしまったものの真価を私に示してくれた。
おのれの内なるものは、実は何ひとつ変わっていないのである。だから私はそこに郷愁は覚えずに、ひたすら居ごこちのよさを感じた。どうやらたかだか140年ばかりでは、この体が文明開化にはなじみきらぬらしい。
昔のお殿様は参勤交代の制に従い、みな隔年ごとに国元と江戸を往還した。すなわち江戸に続く道は、全国に今もくまなく存在する。そしてそこには、思いがけぬ宿場のおもかげが残り、居ごこちのよい文化が生きている。
遥かな外国に向かうよりも、ずっと幸福を実感できる賢い旅であろうと思う。
”『かわいい自分には旅をさせよ』第3章より(書き下ろし)”
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