『だるまちゃん』シリーズ、『からすのパンやさん』、『どろぼうがっこう』! 子供心の襞に吸い付く作品の数々は、世代を越えて愛され、親子3代で読み継いでいる家庭も多い。その、人気の秘密が明かされるのが本書、かこさとしさんの自叙伝である。
のっけから「だるまどんにもモデルがいます」には笑った。『だるまちゃんとてんぐちゃん』は、かこさんの超ヒット絵本だが、この作品の陰の主役がだるまちゃんの父、だるまどんであることは言を俟たない。
子煩悩のだるまどんは、てんぐちゃんの持ちものを何でも欲しがる息子のために、家じゅうを引っ掻き回してうちわだの帽子だの探すのだが、息子の要求を満足させることができない。ものすごくこわい顔なのに、ベタベタに息子に甘く、どこかとんでもなくズレていて、しかし真摯なだるまどんは、日本文学史上屈指の父親像である。だるまどんのモデルは、「何を隠そう」かこさんのお父様だそうだ。
大正15(1926)年に福井県の武生(現・越前市)で、かこさんは誕生した。兄、姉のいる末っ子で、「トンボを追い、魚を追いかけた幼少期」を送ったという。だるまどんそっくりの子煩悩な父が高価なおもちゃを買ってくれるたびに、自分で作ったほうが楽しいと考えた少年は、少し大きくなると絵の才能を発揮し出す。
だるまどんのモデルは、「そんなことして遊ぶ暇があるんなら、勉強しろ」と言うのだが、かこ少年は風呂焚きの合間にもデッサンを欠かさない。
このままスクスクと成長していってもよさそうなものだが、かこ少年の成長期は、なんといっても戦争の時代だ。のんびり絵など描いていられない、飛行機乗りになろうと思い立ち、中学2年生で、とつぜん進路を「軍人」と決めてしまう。「好きだった画も、模型作りも、自ら禁じ、図書室への出入りも自分でやめて、ひたすら数学と理科と心身の鍛錬」に努めるのだが、4年生の身体検査で近視のため陸軍士官学校の受験資格なしと判断される。
「軍人になれないとわかった途端、これまで『頑張れ』と言っていた先生や校長先生の態度が変わってしまったのです。(中略)いっぺんにてのひらを返したようになって『なんだ、軍人にもなれんようなやつか』と言うようになった」。
この挫折を経て、かこさんは技術者をめざし、昭和20年の春には東京大学の工学部に入学したものの、まともに授業はないわ、空襲で焼け出されるわ、散々な目に遭い、家族と疎開した三重県で終戦を迎える。軍人ばかりが威張る世の中が終わったのはいいけれど、「何よりもイヤだったのは近所の大人たちが『なんだ。お前たちは。それでも日本人か』みたいなことを言い出して、時流に乗ろうとしたことでした」。戦後に軍人を「日本人か」と罵った大人と、戦時中に背広姿の人を「非国民」と呼んだのが同じ人たちだったことを、かこ青年は見抜き、嫌悪した。
「もう、嫌だ。こういう大人たちにはつきあいきれない」「何もかもが全部、嘘っぱちに思えて、信じられなくなったとしても、ここから始めるしかないのだ」。大学に戻るために1人東京に戻った時、かこ青年は焼け跡でそう決意するのだった(彼にこう決意させるのが、東大法学部の末弘厳太郎教授と「デンマーク体操」のエピソードなのだが、これはもう、そのまんま絵本にして欲しいくらい、あまりに面白くて、ある意味シュールで奥深い話なので、読んでいただくしかない)。
後半は、かこさんがいかにして絵本作家になったかが描かれる。学生時代のセツルメント活動、サラリーマンとの二足のわらじ時代などもユニーク。徹底して子供に寄り添った目線が、かこさんの世界を作っていく。
それにつけても、ふとタイトルに立ち返ってみる。「未来のだるまちゃん」は、この先も読み継がれるはずの作品の読者たちのことだろう。しかし、未来とは、過去の地点から見れば現在だ。戦後生まれが1億人を越えたいま、かこさんの絵本を読んで育った大人たちはすべて、小さかっただるまちゃんの未来の姿だ。
自分の頭で考えることをせず、日本中が焼け野原になった戦争も、戦後の復興もあなた任せで、ただ時流に逆らわず生きていればいいと思い、時流に乗るためなら平気で人を罵りもする。かこ青年を絶望させたそんな「大人」に、だるまちゃんたちが変貌していたりしたら。敗戦と大人への不信を自らの原点とし、「昭和20年から僕の人生がやっと始まった」「子どもたちは僕にとっての生きる希望」と書いた88歳のかこさんは、どんなに悲しむことだろう。
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