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悲惨なのにどこかさわやか、未だかつてない癌の物語

悲惨なのにどこかさわやか、未だかつてない癌の物語

文:田中 弥生 (文芸評論家)

『癌だましい』 (山内令南 著)


ジャンル : #小説

 またこの作品では、麻美の原点として、彼女の「家」が描かれる箇所も心に残る。その様子を作者は次のように描く。
「瓦も外壁も、元がどんな色だったのか判別がつかない。雨樋には枯葉が溜まり、腐った枯葉が溢れて周囲に散っている」

 雨樋に枯葉が溜まった家は、食道が食べ物を流さなくなった麻美の身体そのものだ。だが荒れた家はもとから荒れていたわけではない。麻美の回想を通して、読者は家の過去を見る。土間になっている台所に、裸電球と天窓からの淡い光がさす。そこに麻美の祖母がいて、可愛い孫に食べさせようと、すべて1から手作りで、おかずやおやつを用意している。麻美がそれを思う時、台所には、祖母のみならず、彼女が直接知らない曾祖母の気配さえ、おこげの匂いとともによみがえる。手間ひまかけた餡の舌触り、家族一人一人の命そのもののようなおまんじゅうの丸さ。台所に生きる女たちと食文化の記憶が、その荒れた家を、今も取り囲んでいるのである。

 一人の女の癌の物語としてここに描かれているのは、そうした女たちの愛と食文化の消滅の図なのかもしれない。あらゆる文化は、完成すれば死に向かう。子供の成長を祈って鍋をのぞく祖母たちの愛が、最後の孫である麻美の中で行き場を失い、ぐるぐるとわだかまって癌の花を咲かせ、宿主とともに消えようとしている。「愛情いっぱいの手作り」という誰も批判しようがない文化の、誰も予想しなかった恐るべき最期がそこにある。けれどそれは本当に恐ろしいだろうか。もし私が麻美の祖母の手作りおやつだったら、誰かに拾われ、「手作り風」商品に作り変えられ、延命して生きるよりは、異形の「癌だましい」となって、孫の身体とともに消え去るほうが本望だと思うような気もする。

 併収作の「癌ふるい」は同じく食道癌を題材とするが、主人公は麻美とまったくタイプが違う。そこからも作者があくまで作家として、自らの闘病を見つめていたことが分かる。作者は本書の刊行を待たずに亡くなられた。けれどその魂は、癌と結ばれたことで、特異な2つの作品を生んだのだ。

癌だましい
山内 令南・著

定価:1200円(税込) 発売日:2011年08月06日

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