五代目古今亭志ん生は昭和の落語を代表する名人の一人だった。本名美濃部孝蔵。明治二十三年(一八九〇年)生まれ。「生活の匂いを基調とした円転滑脱の妙味ある芸を持ち、『火焔太鼓』、『お直し』などの芸は絶品だった」(興津 要)
改名は二十回近くに及んだとされ、長く貧困と放蕩が続いた。しかし昭和二十年代後半から、落語が民放のラジオ放送番組の目玉となる。この世代には、三遊亭圓歌(二代目)、柳家つばめ、桂 文楽、……と逸材が多く、少し若い三遊亭圓生を加えて昭和三十年代には落語の黄金時代を迎える。
草創期のテレビに出演した時は、強いライトで照らされるスタジオでは〈「テレビカメラに光物は禁物」との理由でハリウッドから取り寄せたドーランをつるつるの頭に塗って高座に上がったという〉(『東京 あの時ここで』共同通信社編)。
写真は昭和三十六年(一九六一年)撮影。