日本初のナイター設備が設置されたのは、早稲田大学の戸塚球場だった。昭和八年(一九三三年)七月のことである。総工費六万円をかけた設備だった。七月十日、早大の二軍対新人の試合が日本初のナイターとして行われた。始球式に臨んだのが、写真のスタンドマイクに向かって立つ鳩山一郎(当時文部大臣)。試合は九回まで行われず、七回で打ち切りとなった。
当時の学生野球は現在からは想像もつかないほど人気があった。この年の秋の早慶戦三回戦では、三塁側の早大側応援席から投げ込まれたリンゴを慶応の水原茂三塁手が投げ返した「リンゴ事件」が発生。サヨナラ負けを喫した早大側が激高して、試合終了と同時に慶大側ベンチ、応援席になだれ込み、大乱闘となった。警官隊が出動して鎮圧したが、この事件がきっかけで早慶戦は早稲田は一塁側、慶応は三塁側に固定されるようになった。
鳩山一郎は、戦後保守合同にともない誕生した自民党の初代総裁を務めた。今年は没後五十年に当たる。