志賀直哉の家庭マージャンの撮影は、昭和四十年(一九六五年)。
〈勝負ごとは好きだが、あまり強くはないという。マージャンもときには深夜におよぶことがある。志賀家独特のルールがあってすぐ満貫になってしまう〉(「文藝春秋」昭和四十一年=一九六六年一月号)
麻雀は戦前、奈良に住んでいた頃に覚えたらしく、将棋、花札とともに終生楽しんだ。康子(さだこ)夫人もマージャンが好きだったが、打つのが遅かったといわれる。何を捨てていいのか迷う康子夫人に志賀直哉は、
〈「早く。何でもいいから右の端のを切つてしまへ」
貧乏ゆすりせんばかりの調子で急き立てた。ただし、最晩年はこれが逆になり、直哉の長考が始まつて、一局四時間もかかる家庭マージャンに、
「弱つた。こいつはどうすりやいいかね。さて、弱りました」
と、中々判断がつかず、
「お父さま。どうぞ、お早く遊ばして」
康子夫人に催促されてゐた〉(阿川弘之著『志賀直哉』より)