- 2014.08.07
- 書評
『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』解説
文:大倉 貴之 (書評家)
『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』 (篠田節子 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
二〇一一年、単行本『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』を一読して、これは今までの篠田節子の短篇集と違うと思った。何かもの凄いエネルギーに満ちていて、それが外へ向かって放出されているように思えた。すぐに、自分が担当している時評でも取り上げました。収録作のストーリーを簡単に紹介し、つづけて〈これら全作品に共通するのは、科学技術と人間の関わりであるが、それは登場人物たちの優れたキャラクター造形があってこそのものだろう。本書は篠田節子がSFと切り結んだ中短篇集であり、今年これまで読んだ本の中で最高におもしろかったのだ。〉と、結んだ。
収録された四つの短篇はそれぞれ別のテーマをもって書かれているが、全てSFというジャンルへの愛から出発した、ある種のオマージュだと感じた。表題に選ばれた「はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか」は映画『ブレードランナー』の原作で、P・K・ディックのもっとも有名な『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を連想させるものであることから判るように、他の三作も既存のSF作品に関連しているようなのだ。そこにわたしが感じたエネルギーの大本があるのかもしれない。
「深海のEEL」は、作中に最新の科学情報を大量に盛り込みながら、エンターテインメントから外れない、その作風から“ドイツのマイケル・クライトン”との異名をとるフランク・シェツィングの長篇『深海のYrr』上・中・下(ハヤカワ文庫NV)から採られたタイトルだ。〈Yrr〉は特に意味はなく登場する怪物の愛称のようなものだというが、〈EEL〉は英語で〈ウナギ〉のことだ。『深海のYrr』は、ノルウェー沖で、メタンハイドレートを食べる新種のゴカイが発見されたことを発端にして、地球規模の災厄が描かれる。日本語版の刊行は二〇〇八年四月であり、篠田節子が「深海のEEL」を「オール讀物」に発表したのが二〇〇九年二月号だから、篠田は、この大長篇が刊行されるとすぐに読んで気に入ったのだろう。
「深海のEEL」では、希少金属パナジウムを体内に蓄積したウナギが駿河湾で発見されたことから、大手外食産業と非鉄金属の採掘と加工の大企業が野合。やがて、このパナジウム・ウナギに欲の皮の突っ張った人間たちが翻弄される。なお、献辞にあるシグル・ヨハンソンは『深海のYrr』の主人公の名前。
「豚と人骨」は両親から山の手の三百坪の土地を相続した男が、その土地にマンションを建てようとしていたところ、建築現場から縄文期の遺跡が出た。やがては人骨が大量に出てきたことで建設会社、区役所の文化財課、考古学者を巻き込む騒動が巻き起こる。やがて縄文時代のこの地域は、稲作が中心となった弥生時代より様々な面で豊かだったことが判るが……。
ラスト近くの展開も含めて、わたしは小松左京「本邦東西朝縁起覚書」、豊田有恒「両面宿儺」などの七〇年代日本SFの香がすると思ったのだが、篠田節子をゲストに招いて行われたSFイヴェント(★)で、ご本人からハクスリーの名前が出た。きちんと確認しなかったが、オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』だと思われる。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』と並ぶ反理想社会(ディストピア)を描いた名高い小説である。
作品名は知っていたが未読だったので、すぐに光文社古典新訳文庫を入手し、読んでみた。ハクスリーの西暦二五四〇年の新世界が反理想社会(ディストピア)なのは、卵子の分割による人間の工場生産と条件付け教育、フリーセックスの奨励と快楽物質の配給によって築かれているからである。作中で、その安定した社会に異を唱えるのは未開社会から来た青年である。この『すばらしい新世界』から「豚と人骨」の着想を得た篠田節子に脱帽するしかない。
「はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか」は、田園の中に先端科学工場が存在する現代日本が舞台。田舎のハイテク部品メーカーで事務をする若い女性の視点で描かれる。彼女はここでキャタピラ付きのロボットにつきまとわれることになる。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、逃亡人造人間(アンドロイド)を追う賞金稼ぎを主人公にして、人間と人造人間の区別がつかなくなった未来社会を描いていたが、「はぐれ猿……」ではもっとも人間から遠い姿の函型ロボットが重要な役割を担うことになるところがおもしろい。「人間が描かれすぎる」ことが多い篠田作品の中にあって、一種のボーイミーツガール的な幸福感に包まれるラストが新鮮だ。
巻末の「エデン」は、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの『エデン』からのタイトルだと考えられる。レムは、タルコフスキー監督「惑星ソラリス」、ジョージ・クルーニー主演の映画「ソラリス」の原作『ソラリスの陽のもとに』の作者として知られる。レムの『エデン』は、六人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船がプログラムミスで地球と大気組成が似たエデン星に不時着。そこには生命形態も思考も異なる異星人の住む人間の理解を超えた世界が拡がっていて……。
わたしは一九八〇年に早川書房の海外SFノヴェルズから『エデン』が出た時に購入したが、若さ故か、そのゆったりした語り口に馴染めずに最後まで読み通すことができなかった思い出がある。今回、篠田「エデン」のお陰で三十四年ぶりに『エデン』を読了することができた。
卒業旅行のアラスカあるいはカナダと思しきスキーリゾートで羽目を外しすぎた日本人青年が、ちょっとしたトラブルから逃れようとしたことから、瞬く間に〈会社〉との契約でトンネルを掘りつづける極寒の〈村〉に住むことになり……。というのが篠田「エデン」のストーリー。そこは、レムの『エデン』と旧約聖書のエデン(の園)が背中合わせになったような世界だ。帰国したら禅宗の僧侶になるはずの青年が、閉ざされた異世界で辿る人生の喜怒哀楽が四百字詰め原稿用紙換算で二百枚弱のボリュームで描かれる。他に類を見ない傑作だ。
SFを読み慣れていない人向けにと思って『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』に関連づけて書きましたが、紙数も限られていますので、最後に、強く惹かれた篠田節子の言葉を紹介したいと思います。
朝日新聞「ニュースの本棚」で、篠田節子が〈一頃、女流ホラー作家として頻繁に並べて語られた者として、〉一月に亡くなった坂東眞砂子の作品を紹介した「逆打ち 坂東眞砂子」(★★)という書評の体裁をした追悼文にあった言葉。
そのときその場の話題性とは関わりなく、作家は現役の間中、進化、変容し続ける。そのことを知っていただければうれしい。
わたしと同世代作家・篠田節子の進化と変容を見届けたいと思います。
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