森絵都さんの最新作は短篇集。大人への怒りを抱いた少年が主人公となる3篇の「少年三部作」と、震災後の東京が舞台の「あの日以降」、そして表題作でもある「漁師の愛人」の5篇からなる。 「少年とプリン」をはじめとした「少年三部作」は、「無性に少年が書きたかった」という思いから生まれた。
「少年といっても小学校高学年くらいになると、大人と変わらない思考能力がありますよね。でもいざ口に出すと、語彙の問題でどうしても主張が矮小化されてしまう。そんな少年のもどかしさと、言葉に集約されない感情を掬いあげてみたかったんです」
その他に、父親と少年の対立が描かれる「老人とアイロン」、喫茶店でお目当ての“あるもの”がなかったために青年が激怒する「ア・ラ・モード」などユーモア溢れる作品もある。
残る2篇はがらりと趣が変わる。2011年の東日本大震災の直後に書かれたのが「あの日以降」だ。
「小説の中で、震災に触れることに非常に慎重になっていた時期があったと思います。でもこの短篇のシリーズは、自分の描く風景がどう変わるのかというコンセプトで、約7年前から続けて来ました。その中に震災が反映されないのは逆に不自然ではないかと。東京の私たちに課せられたのは、ほんのささやかな試練でしたが、それを自分なりに記録しておきたかったんです」
そして震災をきっかけに森さんが注目したのは漁師だった。なぜ海の男たちに魅かれたのか?
「震災後に報道を見たとき、漁師が一番格好良かった。もっとも被害を受けた立場なのに、何があっても自分たちの街と海を元に戻すんだという決意が伝わってきました。夫が失業中だったので、漁師を強く勧めてみたのですが、自分には無理だとすぐに却下されてしまって(笑)。頭でっかちな理屈をこねる人が多い世の中で、漁師のように、黙々と自分のするべきことをする人々に魅力を感じたのだと思います」
それぞれに独立した短篇が並ぶが、1冊にまとまったとき、ある共通点も見つかった。
「どの作品にも、手に職を持った熟年男性が登場します。少年が憧れる“アイロン師”や雨漏りを直す工務店のおじさん、そしてもちろん漁師も。何かあったときに1人で立っていられるのは、技術と経験を積んだ職人たちかもしれない。私がここに収められた作品を書いたのは、定年などで社会から切り離されたのち、人はどうすれば豊かに生きられるのかを考えていた時期でもありました。この短篇集はその延長線上にあるのかもしれませんね」