日めくり立ち読み『感受体のおどり』

第24番

文: 黒田 夏子 (作家)

登場人物紹介

 夕やみの道を走った.一人になれたうれしさにしばしばそこを走った.医科大学のうらてにあたり,出いりぐちのない塀が長くつづいて,めったに人かげはなかった.りんじにやとわれている出版社はすぐ近くに駅があるので,かなり遠いべつの線の駅へ出る者はもともと少なく帰りの時刻もまちまちだから,急いでうらみちへ曲がってしまえば一人になりそこなうことはなかった.

 ひとふゆ越して日が長くなりだしていた.文や本にかかわる生計はさけようときめて,朝荒(あさーら)の舞踊団や夕皿(ゆーさら)の店や乙白(おとしろ)の事務所などではたらいてきたが,首都に住んで三千にちたち,一つには疲れ,一つにはもうかかわってもじぶんの書きかたにひびくことはないと見さだめのついたものがあった.その三千にちにからくも書きついできた長い作品がちょうどしあがったところだった.

 それでもなるべくそらして医学書専門の出版社をえらんだ.索引を作ったり図版を整理したりする作業はおもったいじょうに気らくだった.そういうことでなら能力や速度に不安がないので,確認のため専用にあてがわれている医学辞典に,鹿化妄想,全内臓錯位症,選択的無言症などと読んで,つかのまの夢想におちるひまもあった.だからもしいくらかはこっけいな一つの困惑さえなかったら,このりんじしごとが予定より長びくことに大してふふくはないはずだった.

 こまったのは,私の役がらが手のつけようもなく破綻していたことだった.意図がまっとうできなかったのではなく,意図がなかったのがいけなかった.これまでにしてきたしごととちがい,人とのやりとりはごく少なくてすむと気をぬいて,あいまいにしていたのがいけなかった.じっさいそれで一にち一にちはぶじなのでついうかつにしているうち,私はつなぎあわせようのないかけらになっていた.

 ある者は私を年かさだと知っていたが,それよりずっと年したのある者は私をさらに年下だとおもいこんでいた.ある者は私をひどく内気な世なれない者とおもい,ある者はえたいの知れないしたたか者とおもい,陽気とおもい陰気とおもい,すなおともへんくつとも,すれているともまぬけともおもっていた.おもわれたようにおもわせておくのがいちばんめんどうが少ないかと,それぞれへ補強するようなふるまいをかさねてしまったのだが,いそぎの部門を手つだうなどでつぎつぎと多くの者とかかわるはめになり,私の像をまったくべつようにかんがえている者たちが同座するようなとき,言動はたちまよいあらわれなやんだ.

 それはつなぎあわせようのないかけらとしてのありかた,あらかじめ作って押したてなければ形をなさない,意図して規定しなければ無い私の像という実態のけたたましい戯画だった.そうしたわけで夕やみの道を,しばしば小児じみて走って帰った.跳びあがってみることもあった.走ることでふりすてたいのはきめそこなった役のぶざまでもあり,そのけっかあばかれた私の不定形そのものでもあった.

感受体のおどり
黒田夏子・著

定価:1,850円+税 発売日:2013年12月14日

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