山小屋という場所
笹本 山小屋というのは、ある意味、非常に不思議な場所なんですよね。山小屋に来る人は、みんな“下界”では満たされない何かを求めて、山を目指す。日常の世界とは違うもうひとつの場所に行って、何かと出会いたいという期待があるんだろうと思うんです。山小屋自体が、そういう人たちを受け入れてくれる。
木村 僕なんかも山小屋にいくと、1人になりたいときは誰もいない大部屋の布団で寝転がっているけど、ちょっと人恋しくなったら、談話室みたいな場所に行く。そこでは、初めて会う人とでも、ちょっとしたきっかけでどんどん話が弾んでいく。なんでそんなことができるかといえば、山に登ってくる人たちというのは、都会の垢みたいなものを、全部落して登ってくるから、人間が素なんですね。だから話していてあったかい気持ちになれるし、「今日はいい人と出会ったな」という気持ちにもなる。
笹本 猜疑心と打算で人と付き合うのも、確かに人間の本質かもしれないけど、逆に、あるがままの相手を打算なしに受け入れることができるところも、人間の本質だと思うんですね。どちらも小説の題材になりうるんですが、『春を背負って』では後者、下界での暮らしでは忘れちゃっている本質、「人間っていいものだよ」という人が本来持っている善性の部分が、自分なりに書けたという実感は持っています。
木村 ゴロさんが倒れて入院する場面で、映画ではゴロさんに「人とのつながりがなければ、人間生きていけない」と言わせているんですが、最初は見も知らなかった人たちが、どんどん繋がっていって、その繋がりを「背負って」いくことが生きていくうえで大きな支えになる。笹本先生が原作で描こうとされたのもそういうことだったと思うし、僕もそれが一番大切だと思ったんです。この作品は、若い人たちだけに向けたものではなくて、年末に「宝くじ」売り場に並んでいる普通の人たち、それぞれの人生を背負ってきた人たちに向けた物語だと思っているんです。
笹本 私自身も、これまでの人生を通じて背負ってきたいろいろな思いが、作中の人物の言葉というかたちで自然にあふれてきたような気がします。もちろん書いてる最中は、楽ではなかったですけど、書き終えてすごく幸せな気分になれた作品です。
(※本対談は、『春を背負って』巻末に収録された笹本氏と木村氏の対談をダイジェスト版として再編集したものです)
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