佐藤栄作元首相は「政界の団十郎」と呼ばれた美男だったが、「無愛想」と思われたためか、「栄ちゃん」と呼ばれたいと言ったことがある。しかし、実際に「栄ちゃん」と呼ばれたら、不機嫌な顔をしたという逸話もある。
七年八か月にわたる長期政権を担ったが、政権末期は後継争いが激化して、派閥は分裂様相を呈した。
昭和四十七年(一九七二年)六月の退陣表明記者会見では、
「テレビカメラはどこかね。偏向的な新聞は大嫌いなんだ。直接国民に話したい」と発言、とんだハプニングを巻き起こす。
〈首相の新聞ひぼうに怒り、あきれ果てた内閣記者団は首相に強く抗議して一斉に退場。このあと、テレビカメラだけが残されたガランとした首相官邸の会見室で、首相はモノいわぬ機械に向かって一人でしゃべっていた〉(朝日新聞昭和四十七年六月十七日夕刊)
引退会見で時の首相が「しゃべっていた」と朝日新聞が書いたのは空前絶後だろう。
写真は昭和四十三年撮影。三選を前にしたいわば政権絶頂期の姿。
昭和四十九年(一九七四年)非核三原則の提唱を理由にノーベル平和賞を受賞している。