指揮者・作曲家の近衛秀麿は明治三十一年(一八九八年)生まれ。近衛文麿元首相は異母兄にあたる。近衛家は五摂家の筆頭に当たり、皇室内で雅楽を司る家柄だった。ドイツ留学から帰国した山田耕筰に作曲を学ぶ。東京帝国大学文学部に入学するが、中退した。
大正十四年(一九二五年)、山田耕筰とともに日本交響楽協会を設立、日本に初めて本格的なオーケストラを誕生させたが、マネージャーの不明朗経理が明るみに出て、協会は分裂し、近衛は新交響楽団を設立する。常任指揮者となった近衛は、放送が開始されたばかりのラジオ(日本放送協会)と契約して、昭和二年(一九二七年)二月、初めての定期演奏会を催した。ベートーヴェンやモーツァルトなどの古典音楽に加え、マーラーなど現代音楽などもレパートリーに加えた。写真は昭和六年三月二十一日、福岡放送局開局記念の演奏の時に撮影された。
昭和十年、再び内紛が起り、近衛は新響を解散して新しいオーケストラを結成しようとしたが、楽員たちの支持をえられず、結局退団することとなった。欧米で指揮活動をした後、アメリカでの対日感情の悪化にともない、ヨーロッパに拠点を移した。昭和二十年ドイツの敗戦に伴い、ライプチヒで米軍に抑留される。
戦後、東宝交響楽団の創設とともに常任指揮者に就任するが、東宝争議を経て、ここを去り、第一生命の後援を受けて近衛管弦楽団を率いることになる。その後ABC交響楽団を経て、フリーの指揮者としてプロアマ問わず、多くのオーケストラを指揮した。オーケストラとの関係は常にこじれたが、「親方」の愛称にふさわしく後進の指導にあたった。昭和四十八年没。
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