大藪春彦賞受賞作『遠くて浅い海』から8年。久々に消し屋が帰ってきた。仕事柄、戸籍を買い替えて生きている男は、今回は省吾という名で登場する。
「前作から離れるのが大変でした。あのときは沖縄を舞台に、天才とか自然について書いたのだけど、どうしてもそこに寄っていくというか、似てしまうという思いがあったので」
今回のテーマは宗教。消し屋への依頼内容は、自ら新興宗教団体を作った政治家より、徐々に制御不能になっていく団体の内部に入り込み、その原因を探ってほしいというもの。ただし、教祖を殺さないでほしい、教祖の政治家への反抗する思想を消し、自分の意のままに動く生き神様として存在させたいという、何とも難しい注文だった。
教団の本拠地は富士山麓の本栖湖。教祖は畠山織江という老女で、湖上を浮遊する本物の力があるとも言われている。一方、織江の孫で側近の立花遥介は、SNSなどを使って信者からは金をとらない新たな宗教・新教歓喜の立ち上げを画策していたが、ある日、織江が狙撃され、遥介も負傷する。その一部始終がテレビで報道されたのをきっかけに、教団の知名度は飛躍的に上がり、信者を増やすことに。意のままにならないのは織江なのか、遥介なのか。消し屋のターゲットは――。
「今回は消し屋よりも宗教のことを書こうと考えたのが先です。しかも金のかからない宗教。宗教って、金儲けの道具にも人を殺す道具にも独裁者を作る道具にもなる。考えた人はすごいけど、現代の新興宗教はほとんどが金と政治がからむでしょう。誰も心が豊かになる感じがしない。本当の宗教をやりたいという奴がいてもいいかな、と」
今回、消し屋はそれほど動くことがない。むしろ状況をじっと見ている役割だ。彼が死神だとすると、死神と、神に最も近づいた者とが対決する物語と言えるかもしれない。
「消し屋は法律ではなく道徳とかルールで物事を判断できる人間なんです。こいつは今、死に時だな、死ななきゃいけない状況だな、とか。だから全く悩まないし、人間味もないといえばない。でも、金でしか動かないかというとそうでもない。次は、悩む女の消し屋も書いてみたいけど、今回は彼が主人公で良かったと思いました」
小説の構想段階で震災があり、今年は富士山の世界遺産登録もあった。
「なんだか乗っかって書いているみたい(笑)。でもSNSのことを入れたのもそうだし、宗教についても、これはおかしい、こう考えるとか、自分は時代のリトマス紙でいたいんです」
決して現代の表層を描いただけの小説ではないと断言できる。