
ということで、物語の大筋は男女の三角関係の駆け引きということになると思うのだが、この小説の読みどころは、その心理の機微を、直接の心理描写に頼るのではなく、それぞれの人物がまとっている衣服や言動を詳細に描くことによって表出しているところだと思う。
デパートの有能な販売員である樹理恵が初めてアキヨに出会うシーンでは、次のように描かれている。
彼女は満面の笑みで、私の手をにぎった。やわらかい感触だった。彼女はうすいピンク色のブラウスに、濃いベージュの裾(すそ)が広がったスカートを穿(は)き、ひもの切れそうなミュールを素足にひっかけていた。三十歳にしてはだいぶチープな身なりだった。長い薄茶の髪は根元が黒く、毛先が傷んでいるのかスカート同様に裾が広がり、化粧は薄く、しゃべり方は舌ったらず。
いい年をして、なんだか頼りない感じの女性像が、ものすごくリアルである。毛先がスカート同様に裾が広がる、という細かさには笑ってしまったが、哀愁もただよう。ここには描かれていない、顔の造作や肌の質感まで伝わってくる気がする。その上で「でもこういう女の人のほうが、勤め先のブランドの洋服を着て営業用のフルメイクをしている私よりも、隙がありそうでモテるんだろうな」と鋭く分析している。
さらに、服装だけでなくその時のアキヨの行動も、樹理恵は細かく見ている。
彼女はイチゴのミルフィーユを頼んだものの、いたずらにフォークでつついてパイ生地をばらばらにして、上に載っていたイチゴも皿の外に転げた。でも特に気にせずに、またイチゴを、親指と人差し指を使って、ミルフィーユのクリームのなかにめりこませた。
私はミルフィーユを多分二回くらいしか人前で食べたことがない。ものすごく食べ辛くて、どうしてもこういう食べ方になってしまうのだ。これもリアルだなあ、と感心しつつ、ポイントは「でも特に気にせずに」の部分である。初対面の樹理恵がいる前で、ミルフィーユがばらばらになって、他の人の食欲減退を招いたかもしれないのに平気そうにしている、というそのメンタリティーが伝わることが重要なのである。
読者は、洋服の着方とケーキの食べ方の二点で、アキヨという人物の特徴をがっちりと掴むことができる。弱々しくてだらしない、一見かわいい年上のモンスターの登場として、容赦なく、かつ過不足のない紹介がなされたのである。
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