書評

「かわいそう」の神髄に迫る

文: 東 直子 (歌人・小説家)

『かわいそうだね?』 (綿矢りさ 著)

 ここには、樹理恵の、アキヨに対する根本的な侮蔑の意識があるわけなのだが、この人を恋人の家から追い出したいと考えるとき、『火垂るの墓』を思い浮かべるシーンで、意識が揺らぐ。親を失って居候として家に入ってきた兄妹に、その家のおばさんが冷淡な態度で接する姿と自分が重なってしまうのである。「あのおばさんを恐がっていた小学生女子が、時を経て成長し、おばさんそのものになるなんて」と。

 私は『火垂るの墓』は、大人になってから見たが、やはり恐いなあ、酷いなあ、と思った。と同時に、まあその当時の状況なら、このおばさんが特別冷酷な人間というよりも、こんなふうになってしまうというのが現実なのだろう、とも思った。人の性格は、時代状況によって作られる部分も大きいのだ。

 ということに改めて気づかされて、はて、今の時代状況が形作っている性格ってなんだろう、と考えた。

 日本という国が経済成長を続ける時代は終わり、多くの人々は、低賃金で過酷な労働を強いられている。一方で、衣食住や映画やゲームなどの娯楽文化は、昭和の時代からは考えられないほど洗練され、多様化している。六本木や表参道、銀座などの新しいビルは、毎日万博でも開催されているかのようにきらきらと耀いている。お金がなくて苦しいと言いつつ、携帯電話などのハイテク電子機器を鮮やかに使いこなす若者がいる。

 最近は、その機械を使い慣れたころにはすっかり旧式になってしまう、電子機器類の回転の早さに取り残されそうになる。低賃金で長時間働かされてお金も時間もないのに、いろいろな品物を新しく購買することを常に促進される。矛盾ばかりの世の中で、どういう品物をどう使うか、どんな店を選び、どんな言葉を発するか等の微細な選択に人間のセンスを問われ、それが人間の階級に繋がるという、目に見えないカースト制度が、今、あるらしい。

 人生を上の世代や社会によって決めつけられることの多かった一昔前の女性と違って、今は目に見えない法則を自分の勘で選び取っていかなければならない。なかなか大変な時代である。この小説の状況で言えば、男女の間に潔癖さを求められた時代ならば、他の女と一緒に住む男とは一緒になれないのは明白なのだが、男女の関係性が自由になった今、新しい時代の、新しい関係なのだから柔軟に対応しなければならないのではないか? という戸惑いによって生じた悩みなのだ。

 自らの能力で選び取った衣服を纏い、有能で強い女を演じ続けた樹理恵が、ある日それまでまとっていた、人に見せるための自分をかなぐり捨てるラストシーンは、とても痛快である。隆大が嫌いだと言ったために封印していた関西弁が放たれる。若い女性が思いのたけをこめて放つ関西弁は、勢いがあってかっこよく、とっても可笑しい。

 状況的には男女の三角関係の深刻さがつきまとうはずなのだが、この場面が最後の風穴となり、全体が喜劇として気持ちよく読める。東日本大震災が起る前に書かれたという冒頭の、妄想の地震のシーンも迫力があり、心奪われたことの一つである。

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かわいそうだね?
綿矢りさ・著

定価:500円+税 発売日:2013年12月04日

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