家庭、学校、商店、会社、道端、あらゆるところに、おじさんはいる。日常にとけこみすぎているために、まじまじと見ることはあまりない。それに、みんな似たような格好をしている気がする。子供の頃、父親を雑踏から探しだしたら別のおじさんだったという経験をした人も決して少なくないことと思う。
そんなおじさんを長年観察し、2年前には『おじさん図鑑』(小学館)という本まで出した奇特な女性が、なかむらるみさんだ。企画当初、編集会議にずらりと並ぶ偉いおじさんたちから「おじさんの本なんか売れるはずないだろう!」と大反対されたというが、発売されるやいなや空前のヒットを飛ばし、おじさんイラストレーターとして広く名を馳せることとなった。
なぜ売れたのか。それは、るみさんがおじさんに向けるまなざしがいつも真剣だからだと思う。「おじさんKawaii!」というようなミーハー心は片鱗も見えない。大事な標本に採集場所や日付を書いたラベルを貼っていく昆虫学者のような真摯な態度がるみさんにはある。
なにより味わい深いのは、さっきまで煙草を吸ったり部下ににやにや笑いをしたりしていた姿を、生きたまま紙にピンで留めたがごときおじさんのイラストだ。イラストには鋭い観察眼にもとづく解説文も添えられていて、おじさんたちの多彩さ、奥深さに気づかせてくれる。何度読んでも面白い。
そのるみさんが、新刊『おじさん追跡日記』を出すという。
私はすでに『おじさん図鑑』を3回は読んでしまっているので新刊は嬉しい。さらに深くおじさんを追っていくというからとても楽しみにしていた。
ページをめくってすぐに、その期待がかなえられたことがわかった。
一番目のおじさん・山崎先生の項だけでもかなり読みごたえがある。
山崎先生は高校の美術教師だ。高校生のるみさんを絵描き仲間のおじさんのプチ宴会に巻きこみ、みごとおじさん愛に目覚めさせた功労者でもある。
るみさんが、その後もおじさん観察を続け、ついに本を出すまでになったと知って、山崎先生はとても嬉しかったらしい。献本御礼の葉書(実物が掲載されている)からもその喜びはあふれている。『おじさん追跡日記』はこんなほんわかした話で幕を開ける。
しかし、そこで予定調和を許さないのが、おじさんである。
山崎先生から届いたくだんの献本御礼の葉書に爆弾は潜んでいた。教師らしいまじめな文章にまぎれた衝撃の一言。
「女装が好きな絵描きのおじさんをそのうち紹介しますね」
すぐにるみさんは山崎先生と連絡をとって再会。それを皮切りに次々に新たなおじさんに出会っていくこととなる。向かう先に聖域はない。普通の人が「やばい」と思うような領域まで踏みこむのがるみさん流だ。
といって特殊なおじさんが出てくるわけではない。テレビで顔が売れていても、あやしい家に住んでいても、あくまでおじさんはおじさん。若者のように尖っていたり未来への可能性に満ちていたりするわけではない。しかしそんな彼らがるみさんを招き入れるワールドはなぜかとても芳醇だ。読んでいるうちにふわふわとした安堵感に包まれていく。これは不思議な感覚だ。
ときに娘に洗濯物を別にされてしまったり、部下に飲みの誘いを断られたり、なにかと邪見にされる側面も持つのがおじさんだけれど、でもやっぱり私たちはおじさんたちなしでは生きていけないような気がする。読み終わったあとそんな思いにとらわれた。
さて、この書評は「文藝春秋」に掲載されるとのこと。本誌読者の皆さんにはぜひ13番目のおじさん・平尾さんの項をお読みいただきたい。
「取材の前後に情報をくれる」のが、おじさんの共通した特徴だということだが、中でもこの平尾さんが取材後に送ってきたという「AKEMIちゃん物語」(全文掲載)は圧巻だ。初恋の女の子・AKEMIちゃんの思い出がA4用紙5枚にわたって綴られているのだが、これが凄すぎる。
「大手出版社の社長ともあろう方が書いたとは思えない変な話」と、るみさんも書いている通り、私も読後にわいた妙な気持ちをいまだにもてあましている。ちなみに平尾さんとは他でもない文藝春秋代表取締役社長・平尾隆弘氏のことである……。
いやー、やはりおじさんは面白い。もっと読んでみたくなる。
「これからもおじさんは、ほそーくながーく追っていきたい」
るみさんもあとがきでそのように書いてくれているのが頼もしい。読み終わったばかりだというのに、次のおじさん本が今から待ちきれない。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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