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第1回 陽性反応

第1回 陽性反応

川上 未映子

 

 子どもをつくろう、と思って3ヶ月。

 

 これまで基礎体温をつけたこともなければ、妊娠にとりくんだこともなかったわたしだけれど、年齢はこのとき35歳。いろいろな偶然や、考えかたとの出会いがかさなって、子どもをつくることに決めた(これについてはのちのちくわしく!)。決めた、といっても、できることといえば、まずは避妊をやめること。それで1回、様子をみることにした。

 自分が妊娠するのかしないのかはまったくわからなかったけど、生理周期だけは昔からばっちりだったので、「排卵って、だいたいこれくらいかなあ」というあたりを狙ってやってみた。わたしとしてはものすごく思いきったこと、ものすんごいことをしたつもりだったのに、翌月になると「よお!」みたいないつもの感じで生理がやってきたので、「まじかよ」と、ちょっと焦った。

 それでスマートフォンに「基礎体温アプリ」を入れて、毎朝、細かいところまで測れる体温計を口に入れて記録していくことにしたのだけれど、これが精神的にずいぶん厄介なもので、少しでも体温が下がると気が気でなくなっていくのが自分でもこわかった。この1ヶ月でやみくもにつめこんだ妊娠への道のりというか、知識の中心にあるのは「とにかく体を冷やすな」ということ。意味がないとわかっていても、「いや、今朝のわたしはもっと高いはず……」とつぶやきながら、だらだらと何度もくりかえし検温してしまうのだ。そして少しでも高い数値を記入してほっとする……。デ、デイトレーダーって、もしかしたらこんな感じなのかもしれないとか思いつつ、折れ線グラフを凝視するのだけれど、2回目もまた、当然のような顔をしてあっけなく生理がやってきたので、今度はものすんごい焦ってしまった。

 この時点で、いろんなことを考えてしまう。

 たった2回のトライで何を言うかー! と思われるかもしれないけれど、でも、これがまじで焦るんである。だってこれが不妊治療のはじまりになるのかもしれず、そもそも自分が妊娠できるのかどうかもわからないわけだし、とにかく、「何もわかりようがない」という状況のすべてが、ものすごく不安にさせるのだ。

 何かを強烈に求めてしまうだけで、生活の中心が、こんなに簡単に、一変してしまうなんてなあ。

 なんか、自分がすごくゲンキンに思えていやだった。でもまあ、考えてみれば妊娠にかぎらず、人間っていうのは恋愛でも気になってしまえばなんでもそうなのかもしれなくて、そういうのをくりかえしてきたのだろうけど、でも数年前どころか数ヶ月前まではそんなに真剣に考えてもいなかったことに、こんなに頭も体も支配されて、こんなに神経質になってしまうなんてなあ。単純なことよのう。ああ、仕事もぜーんぜん手につかない。朝起きて、体温計を口に入れて、排卵日を逃すまいと、それだけに集中してしまう毎日。1日がとても長くて、夏なのに腹巻&分厚い靴下をはき、体温を測りつづける1ヶ月が、なんだか半年にも1年にも感じられるのだった。

きみは赤ちゃん
川上未映子・著

定価:本体1,300円+税 発売日:2014年07月09日

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