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“日本人は、大災害に必ず勝つ”と訴え続けた小松左京

“日本人は、大災害に必ず勝つ”と訴え続けた小松左京

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 昭和四十八年(一九七三年)の大ベストセラー「日本沈没」では、海に没する日本列島から、一億の日本人が苦闘のすえ避難を果たす。パニック小説ではあるが、未来への希望も力強く描かれていた。日本SFの草分けの一人であるが、同世代の仲間に人間へのシニカルな視点があったのに比べ、小松の物語には人間性への信頼が強く描かれていた。それは、「復活の日」「さよならジュピター」などにも貫かれている。

 昭和六年、大阪生まれ。本名は小松実。左がかった京大生、と自ら皮肉って左京と名乗る。原爆を落とした国への素朴な反感から共産党活動に参加するも、共産国も核兵器開発をする現実に幻滅して離脱。そもそもSF小説を書くに至った動機のひとつに、少年時、広島に落ちたのが「原子爆弾」だと、技術者であった兄に教えられたときの衝撃がある。科学文明は人間の幸福に寄与できるのか、を問い続けた作家人生だった。

 大阪万博では岡本太郎とともにテーマ館の企画を手がけ、「花博」でも総合プロデューサーを勤める。生涯、大阪の街を愛し、その発展を願った。自身も被災した阪神淡路大震災の衝撃は大きかったが、復興への提言と協力を精力的におこなった。

 東日本大震災からの復興を願い、「これから日本がどうなるのんか、もうちょっと長生きして、見てみたいいう気にいまなっとんのや」と記していたが、今年七月二十六日、満八十歳で逝去した。

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