書評

妻はなぜ駆け落ちをしたのか?

文: 青山 文平

『かけおちる』 (青山文平 著)

 昨年『白樫の樹の下で』で松本清張賞を受賞した青山文平さん。この度書き下ろされた『かけおちる』は、満を持しての受賞第一作である。

 寛政二年、四万石の小藩・柳原藩では、窮乏する藩財政を立て直すため、鮭の産卵場所を確保して増産を図り、新たな財源とするための「種川」と呼ばれる施策が本格的に始まろうとしていた。事業を先導してきたのは、郡奉行から藩執政に抜擢された阿部重秀だが、それを最後の仕事として、彼は藩政から身を退く決意を固めていた。重秀には、「人の目を集めてはならぬ事情」があったのだった。

「私はこれまでのところずっと天明期、またその前後の安永、寛政期の武家を描いています。武家の存在じたいの矛盾が浮かび上がるからです。江戸時代の職制は一貫して軍事体制です。幕府も藩も、本質は軍団なのです。ところが、十八世紀も後半の天明期では戦う相手がいません。むしろ、戦うべきは頻発する飢饉であり、痛み続けるばかりの藩財政であり、つまり、行政能力が問われるわけです。武家の存在理由は軍事なのに、求められるのは行政能力。そこに武家のアイデンティティークライシスが起きます。自分はいったい何者なのか、ということです。心ならずも番方(武官)から役方(文官)に回されて苦悩する武家もいるでしょうし、もはや番方の時代ではないと役方で身を立てようとする武家もいるでしょう。武家はそれぞれに自己のアリバイを模索せざるをえません。つまりは、そこにドラマが生まれます。どのようなアリバイをつくるのか……その仮説がドラマになります。今回の物語も、そうしたドラマの一つです」

 阿部重秀の周りでは三つの駆け落ち事件が起こる。一つは二十二年前の妻の民江の駆け落ち。民江とその間男は妻敵討ちによって重秀が斬った。そして娘の理津の二度の駆け落ち。重秀は、妻と娘の行動に深く傷ついていたが、一方で民江がなぜ“駆け落ち”したのか、隠されていた真実の理由が徐々に明らかになる。

「『かけおち』というと今日では男女の『駆け落ち』になりますが、江戸時代は『欠け落ち』で、本来所属すべき集団から脱落するという意味で使われていました。最後の『欠け落ち』がまさにこの元々の意味の『欠け落ち』です。今も昔も『欠け落ち』には大きな脱出用エネルギーが必要ですから、簡単には実現できません。民江と理津の『欠け落ち』が、そのエネルギーを与えます。これ以上語るとネタばれになるので控えますが、この最後の『欠け落ち』で、カタルシスを醸成することができたのではないかと思っています」

かけおちる
青山文平・著

定価:1470円(税込) 発売日:2012年06月20日

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