「本の表紙だけ変えても、中身が変わらないのでは駄目だ」
官房長官、外相、政調会長、総務会長など、要職を歴任した伊東正義が自民党総裁に党内一致で推されたのは、平成元年(一九八九年)のこと。六月三日、リクルート事件で竹下登首相が退陣し、政治不信の空気が蔓延するなか、清廉なイメージを期待されての要請だったが、伊東は宰相の座を蹴る。政治改革推進本部長として金権体質の改善に努めてきたが、これに消極的な党執行部への、一徹な会津人の意地だった。
大正二年(一九一三年)、福島県会津若松市生まれ。祖父は会津藩士の伊東健輔。東大法学部を卒業後、農林省に入る。満州の興亜院に出向していたときには、刎頸の交わりとなる大蔵省の大平正芳と机を並べた。
昭和三十八年(一九六三年)、福島二区から衆議院に初当選。以後、当選九回。昭和五十四年、第二次大平内閣の官房長官として初めて入閣するが、翌年の衆参同日選挙の最中に大平が急逝。伊東は総理大臣臨時代理を務めながら選挙を取り仕切り、自民党を圧勝に導いた。このときも加藤紘一、堀内光雄ら、宏池会の若手が総理後継の流れを作ろうとしたが、伊東は首を縦に振らなかったという。
写真は竹下内閣で総務会長を務めていた平成元年、「文藝春秋」四月号に掲載された。
〈趣味は観劇。森光子の熱烈なファンである。「大女優なのに庶民的だから好きなんだ」〉
平成六年五月二十日、八十歳で永眠。中野・宝仙寺で行われた葬儀では、政治改革を志した盟友、後藤田正晴が弔辞を読んだ。
〈あなたは政治家の中では珍しい愚直なまでの潔癖漢でもありました。こうした姿勢を貫きとおしたことに、私はすがすがしさ、美しさすら覚えます。/党内にはそういうあなたを煙たがる空気もありましたが、この潔癖さこそが今の政治に最も大切なことだと思います〉
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