書評

〈引用〉が生み出した新しい私小説

文: 大和田 俊之

『二十五の瞳』 (樋口毅宏 著)

ひぐちたけひろ/1971年東京都生まれ。出版社勤務、フリー編集者を経て、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。以降、『日本のセックス』『民宿雪国』『テロルのすべて』など話題作を発表し続けている。 文藝春秋 1470円(税込)

『さらば雑司ヶ谷』、『民宿雪国』など次々に話題作を発表する作家、樋口毅宏の最新刊である。

 今度の作品も一筋縄ではいかない。仕掛けが凝りに凝っているのだ。

 まず、瀬戸内海の小豆島を舞台に、壺井栄の『二十四の瞳』を物語的な枠組みとした4つの恋愛話が綴られる。平成、昭和、大正、明治――それぞれの時代を背景に、映画監督木下恵介と女優高峰秀子を思わせる人物が登場するかと思えば、別の章ではかの地で晩年を過ごした俳人尾崎放哉の虚実入り交じる一生が描かれる。

 巻末に多くの引用・参考文献があげられているように、本作においても「タランティーノを彷彿とさせるサンプリングの手法」は健在だ。読者はところどころになじみ深い曲名や歌詞、セリフ、作品名などを発見し、ひとり悦に入るだろう(ちなみに、125ページの太字の元ネタについては著者本人がツイッターで明らかにしているので、気づかなかった人はぜひとも確認してほしい)。

 だが、本作にはそうしたサンプリングに伴う遊戯性とは別の、ある種の〈切実さ〉が感じられる。4つの物語を挟んで配置される序章と終章に明らかなように、この作品は著者自身の「私小説」としても書かれているからだ。

 サンプリングとは、特定のフレーズを異なる文脈に配置することで、その表現に新しい〈意味〉を付与する手法である。テレビ、映画、俳句、そして農村歌舞伎――それぞれの章の男女の物語には各時代の「メディア」が大きな役割を果たしているが、著者の経験も、そのような〈歴史〉の反復として捉えられる構成になっている。

 著者自身の経験、その最も私的で切実な感情が、各時代のメディアに氾濫する〈引用〉を通してのみ可能であるということ――このことを見事に表現した点において、本作は小説の可能性をさらに切り開いたといえるだろう。