書評

著者を命名した初めての私小説――「プロローグ」はまだはじまったばかりだ

文: 佐々木 敦 (批評家)

『プロローグ』(円城塔 著)

『プロローグ』(円城塔 著)

 さすがにそろそろ名前を持つべきではないかと思うが、今日も今日とて喫茶店でこの文章を書いているわたしの方にはこの期に及んで尚、自分の書く話の登場人物に名前を与えるつもりがないようだ。「名前はまだない」ということだから、名前は「まだない」なのかも知れない。だってそう書いてある。あるいは「名前はまだない」自体が名前なのかもわからない。


 ともあれ程なく名付けの儀式が執り行われることになるのだが、どういうわけか名前を与えられるのは「わたし」が面白がって「臣」と呼んで(本文参照)みせたりもする「自分=これ=文章」ではなく「わたし」の方なのだ。雀部。「名前」を産出するためのプログラムが案出され、雀部に続く文字が選出される。雀部曽次。続けて理由は不明だが、もう一つの名前も導出される。榎室春乃。


 榎室春乃とわたしはいう。榎室春乃が、自分の名前は榎室春乃であると言っている。

 名前を手に入れ、ようやくわかった。雀部と榎室は根本的に別の人間で、雀部と榎室はそれぞれ別のわたしであるのだ。このわたし、榎室春乃を書いてきたのは雀部の方だが、雀部や榎室の名を決めたのはわたしの方だ。わたしにはまだ、自分を記述する言語の見当さえついていないが、それでも今や自分のことを、著者を命名したはじめての小説なのではないかと自負している。


 これで引用は終わり、というか、この解説もあと残り僅かだ。しかしまだ『プロローグ』ははじまったばかり、プロローグの段階でしかない。だがしかし、あれを読みはじめるための準備、或いはあれを読み終わってから二読目、三読目、n読目をはじめるための準備としては、これで差し当たり足りているのではないかと思う。『プロローグ』とは「著者を命名したはじめての私小説」なのであり、その場面をプロローグとして、雀部曽次と榎室春乃と、その他の名前を与えられた存在たちが「わたし」によって書かれ/語られ、ではなくて、「わたし」の方を記述し叙述してゆこうとする「小説」なのである。つまりこれはまたもう一つのセルフリファレンスエンジンなのだ。そしてすべての文章の連なりの向こう側には、更にまたもう一つの『エピローグ』と呼ばれるエンジンが鎮座している。従って、この解説のおわりに置かれるのは「おわり」ではない。「つづく」である。

(ハヤカワ文庫JA『エピローグ』解説につづく)

プロローグ円城 塔

定価:本体890円+税発売日:2018年02月09日


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