2025年春、第12回高校生直木賞が開催されました。4月20日に47校の代表者が全国からオンラインで集まり、地方予選大会を開催。5月18日、互選によって選ばれた代表者が文藝春秋に集う全国大会が行われました。参加校全員による投票の結果、月村了衛『虚の伽藍』が受賞作に決定いたしました。小説について熱く語り合った高校生たちの感想文を、3回にわけて掲載します。今回は埼玉県立浦和第一女子高等学校、東京都立国立高等学校ほか、12校をご紹介します。
【第一回】
1.茨城県立古河中等教育学校(茨城県)横堀未桜「高校生直木賞に参加して」
2.高崎商科大学附属高等学校(群馬県)福島環「一人ひとり違う語る言葉」
3.埼玉県立大宮高等学校(埼玉県)岡田美幸「自分の考えを練ること」
4.埼玉県立浦和第一女子高等学校(埼玉県)鈴尾柚葉「読書を他人と」
5.渋谷教育学園幕張高等学校(千葉県)出水孝明「読者どうしの差異を理解し合う」
6.国府台女子学院(千葉県)A.S「『高校生直木賞』の選び方」
7.東京純心女子高等学校(東京都)H.M「高校生直木賞に参加して」
9.駒込学園駒込高等学校(東京都)荒井朋「人に“伝える”ことの楽しさ」
10.東京都立国立高等学校(東京都)横渡文人「まさに高校生である」
11.麻布高等学校(東京都)柴田慶一朗「ミライはどこに? 君の言葉に!」
12.山崎学園富士見中学校高等学校(東京都)H.K「難しい選考だった」
茨城県立古河中等教育学校(茨城県)横堀未桜「高校生直木賞に参加して」
高校生直木賞に参加して初めて、同じ本を読んだ者同士で議論をし、受賞作を決めるという体験ができました。
本校の図書委員会のメンバーで本の順位を決めたとき、自分の想像していた以上に、共感できる意見や、逆に自分では考えもつかなかった意見が多く出てきて、私たち図書委員にとって実り多い経験になり、改めて高校生直木賞に参加して良かったなと思いました。
そして予選会で初めて全国の学生の皆さんとオンラインで交流した時、私はとても緊張してしまいました。でも、司会の方が話を回してくださり、傍らに居た仲間の助けもあり、何とか作品への思いや意見を述べることができました。進行は司会の方が進めていましたが話し合いの内容はほとんど生徒同士で創り上げていく感じで、全国の皆さんの発言における積極性に圧倒されてばかりでした。ただ各自の意見を主張するだけではなく、前に発言した人の意見に対して、柔軟に反応したりしていて、私の意見に対しても他校の方々が、しっかり応えてくださった時には、予想以上の喜びがあり、とても嬉しかったです。
高校生が「選考委員」になる、という経験を通して、自分の好きなことや興味のあることに対して自分なりにとことん突き詰め、言葉にして表現したり、意見を交わしあうことの尊さを実感しました。これからも読書を初め、好きなことに真っ直ぐに、真剣に取り組む人間になりたいと改めて思いました。
高崎商科大学附属高等学校(群馬県)福島環「一人ひとり違う語る言葉」
高校生直木賞に参加してみないか、という打診を受けたのは2月初旬でした。私は読書をするのは好きでしたが、自分が読みたい本を一人で読んでばかりで感想を言い合ったり本に評価を付けるといったことはしたことがありませんでした。そこで今回高校生直木賞参加の打診を受けて率直に面白そうだなと思ったことを覚えています。高校生直木賞を選ぶ過程で選考委員全員の意見が一致した作品もあれば、それぞれ見ている視点が異なり同じ課題作なのに一人ひとりまるで違う本を読んでいたかのような印象を受けた作品もありました。同じ作品なのに一人ひとり全く違う語る言葉を持っていて自分一人では知ることのできなかった読書世界の広がりを感じました。今回、私達高崎商科大学附属高等学校では「虚の伽藍」を高校生直木賞候補として選びました。候補作は5作品でしたが、どの作品も魅力あふれる素晴らしい作品で選考委員全員の一作を選ぶのに大変苦労しました。高校生直木賞ではたくさんのこれからにつながる経験をすることができました。このような機会をいただきありがとうございました。
埼玉県立大宮高等学校(埼玉県)岡田美幸「自分の考えを練ること」
同じ本を読み、議論をし、1冊の本を選ぶ機会。私にとってはなかなかない経験でした。
私は考えていることを言語化することが得意ではなく、5冊の本を読んで他のメンバーと話し合い1冊に決めることができるのか、最初は不安もありました。それでも高校生直木賞で自分の意見を伝えたいという思いが勝ち、参加を決めました。
予選・本選共に、他の人の意見を聞いて、こんな考えもあったのかとたくさんのことに気づかされました。予選も本選もただただ圧倒されるばかりでした。他の方々の意見を聞きつつ、自分の考えを練ることが足りなかったと感じました。
考えていることを全て言語化することはできませんでしたが、少しでも自分の考えを伝えられたことは自信になりました。
最後に、高校生直木賞に関わった全ての方々に感謝します。このような貴重な機会を頂き、ありがとうございました。

埼玉県立浦和第一女子高等学校(埼玉県)鈴尾柚葉「読書を他人と」
心地よい疲労感。高校生直木賞を終えて私が感じたのはそんな思いだった。
本を読むことが大好きで幼い頃から読書に勤しんできたが、ストーリーを自分の中に取り入れるだけで満足し、他人と感想を語り合うことは少なかった。しかし高校生直木賞に参加した今、「読書好きな仲間と同じ本について話し合う」その重要性や喜びを知らずに生きてきたことを惜しく思う。
地方予選会、そしてオンラインで参加した全国大会。どちらもとても有意義な学びの場だった。カバーと本そのものとのイラストの違い、仏教やキリスト教など学校ごとに異なる宗教的立場、たった1人の登場人物から日本の社会問題へと発展させる視野の広さ――。自分一人では到底たどり着けない発想に唖然とすると共に、そのような思考の深さを持つ同世代の仲間に尊敬の念を抱いた。
こんなにも充実し、一瞬で過ぎ去った時間は初めてだった。高校生直木賞に関われたことに感謝し、読書を通じて広がる世界を楽しみたい。
渋谷教育学園幕張高等学校(千葉県)出水孝明「読者どうしの差異を理解し合う」
高校生直木賞は審査の基準が決まっていない賞です。僕はその基準として直木賞と同じ大衆性を一番に考えていました。高校生が選ぶからには高校生を裏切らない作品であってほしいと思います。
一般的に本を読むことはいいことであるように語られがちです。その一方、礼賛されることで正しいことという印象がつきすぎて読むきっかけを失ってしまうことがあります。小説は面白いものであり、確かに勉強になることもありますが、他人の視点から新たな価値観が得られることが素晴らしいことだと思います。読者が想像を膨らませることで共に世界を作り上げるというものです。
その点で言うとこの賞を選ぶ過程はその読者どうしの差異を理解し合うものであったと思います。多くの人が同じ本を読んでそれについて話し合うという機会は滅多にありません。様々な来歴のある高校生同士で話し合うというのはとても貴重な経験でした。今回では、どんな学校に通っているか、またどの地方に住んでいるかによっても違った意見が出ました。普段関わることのあまりない人たちとの交流はとても有意義でした。本の感想でぼんやりとお互いのことが分かりあえるのが面白かったです。
また、普段本を選ぶとき、タイトルや装丁から本を選ぶことが多いためノミネートされた本の中には普段読まないような本もありました。自分が知らないジャンルや読んだことのないようなストーリーに触れることができとても新鮮でした。
このような経験ができたのは高校生直木賞に参加できたからです。これから高校生直木賞に参加する人が増え、発展していくことを願っています。
国府台女子学院(千葉県)A.S「『高校生直木賞』の選び方」
「高校生直木賞」に、今は二つの語義があると感じます。一つは、ホームページに説明のある「全国の高校生たちが集まって議論を戦わせ、直近一年間の直木賞の候補作から『今年の1作』を選ぶ試み」。そしてもう一つが、活動の目的である「高校生が選ぶ文学賞」です。はじめ私は、賞としての「『高校生直木賞』とは何か」ばかりを意識していました。けれど、その問いには答えがなく、考えてみても行き詰まってしまいます。次第に賞を選ぶ過程、活動としての取り組み方を考えるようになりました。
議論は学校、地方予選、全国大会と進んでいきますが、それぞれに時間や方式は異なります。統一された道筋ではないからこそ、その中でどんな目的を持って議論に臨むかが大切だと感じました。人によって答えは変わると思いますが、私は、候補作への理解を深めることを目的に意見を出し合うのが良いと思いました。それぞれの本をなるべく多数の視点から眺めて、より多くを読み取ること。それらについて解釈を研ぎ澄まし、より納得のいくものに近づけること。一人では考えが限定されてしまいます。賞に推薦する作品を選ぶために、取り組みの中で読み方の幅を考えることにこそ意味があるように思えました。そしてその上で、それぞれがどの作品を選びたいか、それは何故かを考えて、最後に議論を行うことが、私たちの腑に落ちる「高校生直木賞」の選び方に繋がると思いました。

東京純心女子高等学校(東京都)H.M「高校生直木賞に参加して」
私が高校生直木賞に参加するのは今回で3回目でしたが、実際にオンライン上で他の学校の生徒のみなさんと議論をするのは今回が初めてでした。普段特定のジャンルの本しか読まない私にとって、高校生直木賞はさまざまなジャンルの本に触れ、新たな発見を得ることができる刺激的な機会になったと思います。今回は特にクセのある物語が揃っていて読む前からとてもワクワクしました。校内での予選会ではどの作品が選ばれてもおかしくなく、参加したみんなは全ての本に同じくらいの熱量をもっていました。それだけ今回の候補作は面白い本ばかりだったと思います。オンラインでの議論では、過去の先輩のようにみんなを背負ってはっきりと意見を伝えることができるかとても心配でしたが、同級生や後輩が隣でサポートしてくれたことでとても心強く、なんとかやりきることができたと思います。ただ本を読むだけではなく、その本に対しての自分の意見や周りの人の価値観など多くのことに気づかせてくれることは高校生直木賞の醍醐味の一つだと思います。
田園調布学園高等部(東京都)今村文香 「共有できる想い」
私は今まで、誰かと本の感想や考察を共有し、語り合う機会がほとんどありませんでした。しかし、本を読んで味わった感動を誰かと共有したいという想いはずっとありました。高校生直木賞は、こんな私の想いを受け止めて発表することができた晴らしい機会でした。
まず私は、他の人と共有する前に、「作者はこんなことを伝えたいのではないか、この描写はこんなことを暗示しているのではないか」と一人でじっくり考える時間がとても新鮮で楽しかったです。さらに、他の人と意見を共有し、より深い読み方を練っていくことは、私にとって初めての経験で、本当に興味がつきませんでした。時には自分の考えと180°異なる考え方を知り、感心することも多々ありました。学校内だけではなく、全国の人の意見を聞くことができたのも、私にとって心に残る経験になりました。一つの作品に対して熱く語り合う時間は、かなり大切なものだったと思います。
私は、高校生直木賞を通して、他の人と意見を共有する楽しさや考えの多様さと面白さに気づくことができました。また、誰かに言葉でしっかりと伝えれば、想いは共有できることを強く実感できた、非常に良い経験となりました。
駒込学園駒込高等学校(東京都)荒井朋「人に“伝える”ことの楽しさ」
私が高校生直木賞に参加することになったのは本当に偶然で、分厚い小説を短期間で5冊読むことは初めてでした。それまでは自分にとっての読書とは、好みのジャンルの内容を自分なりに咀嚼し、自分の中に留める、ただそれだけの作業でしたが、じっくりと本を読んで向き合い、自分の考えをまとめた上で、全く異なる考えを持つ相手の意見に耳を傾けながら話し合うことは、とても貴重な経験となりました。全国大会では張り詰めた緊張感の中、考えたことや語る内容も異なる同世代との話し合いは非常に有意義で、拙いながらも自分の考えを会場に響かせた時、私は人に“伝える”ことの楽しさを知ることができました。参加を通して、私にとって何にも代えがたいものを手に入れることが出来ました。関係者の皆様に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

東京都立国立高等学校(東京都)横渡文人「まさに高校生である」
本番から結構時間が経ってしまい、無い記憶もどんどん薄れゆくものですが、高校生直木賞に参加できたことは大変有意義であり、濃い時間だったなと思い返してみます。歳をとっていくにつれ社会の生き方、ごまのすり方を段々と学んできたので、このようなオフィシャルの場で毒を吐くというのはあまりよろしく無いことだと理解しています。しかし、このような場所でTPOにそぐわない駄文を書き連ねるのが私の性でありますので、表現に至らないところがある点、こいつ何言っているんだと思う所ありましても目を瞑っていただけると幸いです。
今回高校生直木賞に初めて、実際に参加させていただいて抱いた感想は、まさに高校生である、というものです。そもそも読書というのは極めて個人的なものであり、他人と読んだ本について話すことなんて基本できないわけです。それが今できているのは学生の特権です。そのことをちゃんとわかっていますか? 私はわかっていません。人間は自分が置かれている状況を理解できないものです。そしてもう一つ、考え方も高校生並みであるということです。所詮は高校生、されど高校生。子供と大人の中間であり、大人になろうとしながらも子供時代をモラトリアムしている高校生ならでは考え方、まさしく高校生直木賞なんだと思います。別に揶揄しているわけではなく、その当事者として参加できたことは純粋に嬉しく思います。あ、字数がもうそろそろですね、それでは。
麻布高等学校(東京都)柴田慶一朗「ミライはどこに? 君の言葉に!」
第173回芥川賞・直木賞の双方で該当作が生まれなかったことに驚きを覚える。
川上未映子さんの『乳と卵』や津村記久子さんの『ポトスライムの船』に出会ったきっかけとして芥川賞は特に楽しみにしていたところだし、直木賞は、こんな企画に参加するくらいだから、尚更だ。これらの賞が与えられる基準は「最も優れた作品であること」。シンプルであるが故に曖昧で、長時間の議論を要するところだろう。
と、ここまで書いて気になったので、実際の直木賞の司会を務めてらっしゃるうえ、高校生直木賞本選でも司会を担当いただいた石井さんのnoteを覗いてみた。新喜楽という料亭で議論を行うらしい。こうしてみると、会場の机の配置もなるほど本家に似せてある。似るのが机の配置だけならまだ良いのだが、高校生直木賞は本家の曖昧な判断基準も引き継いでいる。たいへんな苦労をした。必然相当の時間を要する議論は、何より疲れるし、参加人数と用意されている時間が噛み合わず歯痒い思いもした。
そんな中でも、私たちは対話する。
どんな形態であれ、そこには聴覚的、視覚的、触覚的な言葉が存在する。
対話を通じて私たちは互いを、自身を知る。
かつて全ての人がそうだったように、私は、私たちは、まだ何者でもない。だからこそ、対話や議論によって多くの景色を見にいくことが重要なのだろう。
現代社会と陸続きでありながら隔離された歪な聖域として、学校という場は近代以降私たちを資本的な価値の有無という評価軸から守ってきた。しかし反知性主義の波は、そして排外主義的な大人たちは、時に受験制度や就職に関する事柄と結びついて、理性ある対話へと否応なしに冷笑の目線を向ける。
東京大学の学部新設に伴う受験形態の変化により、この傾向はより一層強くなるだろう。最近の参議院選の記事を読んでいるとまったく辟易するばかりだから、教育現場の模範となる東京大学くらいには日本の最高学府としてその在り方をよく検討して欲しいものだが、果たして。
話を戻そう。この逆境の中、高校生直木賞という企画は、「役立たない」ことに意義を与え、正当性を持たせているという観点から、高い評価を送られるべきだ。
高校生にとっての議論の重要性は先に述べた。議論の場を守り、そうした場を作るだけでも今を生きる高校生にとって幾許かの希望となろう。
誰もが未来を作る必要はない。個人の自由だ。だけれどそれは、安っぽい絶望論に浸り、ニヒルな笑みを浮かべ続ける理由にはならない。
企画に参加しなくとも、候補作を読んでみて、誰かと、あるいは自分自身と心ゆくまで語らう体験をしてみてはいかがだろうか。
山崎学園富士見中学校高等学校(東京都)H.K「難しい選考だった」
今年の高校生直木賞の議論は、最後までどの作品を選ぶべきか葛藤が残り続けるほど難しい選考だった。
全てが終わった今でも、他人の意見から生まれた疑問などを自己解釈に落とし込んで考察を進めるのが楽しい。それが高校生直木賞に参加した者の特権であると思う。自分の意見を形成し、他人と対話して、感化されて、疑問を覚えて、もう一度考え直す。この機会を得られたことは本当に貴重な経験だったと改めて強く感じる。高校生直木賞は対話をする賞だ。読書と対話は相容れないものではなく、むしろ強く結びついているのだとこの活動を通して知ることができた。
最後まで疑問を残し、私の意見に影響を与え続けた最終選考の後、そして今でも引きずっている思いがある。もう一度意見をぶつけあいたい。今ならもっと話せる。
このむしゃくしゃした思いを私に残した高校生直木賞とは、罪深い賞だ。
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