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「FA」と「逆指名」でプロ野球は決定的に傷ついた

「FA」と「逆指名」でプロ野球は決定的に傷ついた

「本の話」編集部

『プロ野球が殺される』 (海老沢泰久 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #ノンフィクション

──『プロ野球が殺される』は、2003年の夏からNumber Webで連載中のコラム「スポーツの正しい見方」のベスト・セレクションに書き下ろしと著者インタビューを加えたオリジナル作品ですが、初出がインターネットという媒体であることを特別に意識されていますか。

海老沢  ぼくはインターネットを使わないから、どう意識すればいいのか分からない(笑)。雑誌や新聞のコラムと同じように書いている。ただ、鹿島アントラーズファンの友人によれば、ぼくが「スポーツの正しい見方」でサッカーのことを書いたあとなどは、その内容をめぐってアントラーズのファンサイトなどで侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論がかわされているらしいね。

──題材選びはどのようにしておられるのですか?

海老沢  新聞のスクラップやスポーツ番組を見ているときに気付いたことをメモするぐらいかな。平均すると一日にひとつは候補を見つけて、締め切り間近になるとそれらを比較しながら、題材を決めている。

──テーマの中心となっているのは日本のプロ野球ですが、海老沢さんはこれに対して強い失望感と危機感を抱いておられますね。

海老沢  ぼくが日本のプロ野球に熱狂していたのは、ジャイアンツがV9を達成した黄金時代だから、どうしてもその当時と現在のことを比較してしまう。当時のジャイアンツには長嶋茂雄と王貞治という傑出した選手がいたけれど、V9の立役者は川上哲治監督だと思うよ。川上監督や牧野茂コーチらが採り入れたドジャース戦法が、それまでのエースが投げて四番が打てば勝つという単純な野球からの脱却を意味していたのだろう。ドジャースのキャンプに参加した広岡達朗が「アメリカのキャンプにはスケジュールがあることにまず驚かされた」と語っているぐらいだから、日本の野球は相当遅れていたんだね(笑)。ドジャース戦法によってチーム一丸となって勝利を目指すというジャイアンツを、タイガースの村山実や江夏豊、ドラゴンズの星野仙一らに代表される個の力が止めることは難しかったということだろう。

──川上監督が勇退すると、長嶋さんがあとを継ぎますが、ここから日本のプロ野球の変質がはじまったということでしょうか。

海老沢  長嶋は非常に優れた野球選手だったけど、1975年からの6シーズンで監督の器ではないことがわかってしまった。それが日本のプロ野球にとって、躓(つまず)きの第一歩だったと思う。その後、藤田元司と王が監督になってもジャイアンツはかつての栄光を取り戻すことにはならず、1993年に“第二次長嶋政権”がスタートしたことが決定的だった。

  監督として一度目はダメだったけれど、二度目の失敗は許されないということで、ジャイアンツを中心とする球界はルールをいじりはじめたということだろう。それが1993年に導入したFA制度とドラフトの逆指名制度(2001年からは自由獲得枠、2005年からは希望入団枠へと移行するが、実質はあまり変わらない)だけど、いい選手を集めて長嶋ジャイアンツを勝たせるための仕組み以外の何ものでもなかった。これで日本のプロ野球は決定的に傷ついたと、ぼくは思う。

──戦力の均衡が、プロスポーツ隆盛の鍵ですよね?

海老沢  NBAでは完全ウェーバー制を採用しているから、5年も最下位を続けるとドラフトでいい選手を獲得できて、強いチームができあがる。そんなストーリーがあれば面白いのに、日本人はそうは考えないようだね。みんな強くて人気があるジャイアンツのおこぼれに与(あずか)ろうというのだから、夢も希望もあったものじゃない。

  ファンというものは、選手がチームの勝利のために頑張っていると思うものだ。全力でプレーする選手の姿に、それぞれがフィクションを重ね合わせて楽しんでいるはずだ。それなのに、前年まではスワローズのエースだったグライシンガーと四番のラミレスが、揃って翌年にはジャイアンツのユニフォームを着て古巣と戦っているというのでは、ファンが思い描いていたストーリーが完全に崩れ去ってしまう。選手のチーム愛なんてウソだということがすっかりばれてしまったわけだ。選手はみな「ジャイアンツでプレーすることが夢だった」なんていうけれど、タダでもジャイアンツに行ったのだろうか。ファイターズからジャイアンツに移籍した小笠原道大は中心選手として頑張っているけれど、「ジャイアンツに行ってよかったことは何か? 楽しいか?」と聞いてみたいね。

──年々高騰する選手の年俸も、球界を圧迫していると指摘されていますね。

海老沢  大リーグ選手会のドナルド・フェアという専務理事が今年になって引退を表明したけれど、彼が専務理事代行に就任した1983年の選手の平均年俸は28万9000ドルなのに、2009年のそれは330万ドルと、四半世紀で選手の年俸は10倍以上に跳ね上がっている。ドナルド・フェアの功績といえばそれまでだけど、ほんとうにいいことなのかどうか。レッドソックスが松坂大輔に100億円以上払ったのも異常だと思うけど、大リーグの場合は莫大な放映権料が入るからまだわからなくもない。日本の場合はほんとうに不思議だね。

  かつて日本では年間7~8勝しかできない投手なんて、その他大勢のような存在だったのに、いまではそれでも1億円はもらえるようだ。一方で、テレビの地上波はプロ野球中継を見限ってお笑いやクイズ番組ばかり流すようになったわけだから、日本のプロ野球の先行きが明るくないのは子どもでもわかることだ。

──野茂英雄にはじまり、イチロー、松井秀喜……と人材の流出も、すぐそこにある危機ではありませんか?

海老沢  野球に限らず、スポーツ選手がより高いレベルで自分の力を試してみたいというのは当然のことだろう。昔は「なぜわざわざアメリカに行って苦労するのか」という意見が大勢だったわけだから、頼もしく思う。その反面、スポーツビジネスという波に呑まれて大切なスピリットを失うことになりはしないかと考えると、最近は素直に送り出す気持ちにもなれないなあ。

──これまでに海老沢さんは、中嶋悟、岡本綾子と、海外に活躍の場を求めたアスリートを題材にされてきましたが……。

海老沢  結局のところ、「日本人とはどういうものか」というのが、ぼくにとっての永遠のテーマなのだと思う。だから、『監督』の広岡達朗、『美味礼讃』の辻静雄、『満月空に満月』の井上陽水ら、また恋愛小説、『青い空』のような歴史小説、『無用庵隠居修行』のような時代小説でも、従来の日本人のスタイルからは外れた生き方を貫く人物に光を当ててきたのだろう。

  社会構造がそうさせるのか、個人の意識の問題なのか、日本では外国とは違った感覚でスポーツが行なわれてきたと思う。『プロ野球が殺される』では、野球以外に、サッカー、相撲、ゴルフなどの競技を例にとり、日本人がスポーツとどう向かい合っているのかを書いてきた。そこにあるのは楽しい話ばかりではなく、むしろ不愉快なことがらの方が多い。選手、ファン、オーガナイザー、メディア……スポーツにかかわるすべての日本人が、心の底からスポーツを愛しているのかということを、もういちど自問するべき時期がきたように思えてならない。

■この海老沢泰久氏のインタビュー〈「FA」と「逆指名」でプロ野球は決定的に傷ついた〉は、氏の生前にインタビューさせていただいたもので、月刊誌『本の話』9月号掲載の再録です。海老沢氏は8月13日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
文春文庫
プロ野球が殺される
海老沢泰久

定価:586円(税込)発売日:2009年09月04日

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