インタビューほか

フィリップ・トルシエ
「工場の機械のような日本のセックス」

田村 修一

「不思議の国のエロティシズム」オール讀物より

 日本人は法律を順守する。そして法律は、人前で裸になることを禁じている。つまり日本人は感情を表現するときも法律に則して語っていて、心からの本音は語っていないと私は感じる。感情は心の表出だが、日本はその社会構造から規則のほうが心よりも強い。だからもしカーセックスが法律で禁止されたら、たとえその機会があっても日本人は敢えて法律を犯さないだろう。そこがヨーロッパとの違いで、日本では欲望よりも社会的なコードのほうが強い。

 だが他方で矛盾もある。それだけの禁忌がありながら、女性の裸を満載した雑誌が書店に溢れているのは、別の意味で私には驚きだった。テレビや映画では陰毛は露出できないが、雑誌では黙認されている。ある意味、それだけセックス文化が豊かといえるのだろう。

 さらに興味深いのは、そうした雑誌を人前で見るのはヨーロッパでは禁忌だが、日本ではそうではないことだった。子供たちでもそれを手に取れる。そこには女性の対象化がある。日本では女性をひとつの人格ではなく対象として捉える。コミュニケーションは一切抜きにした、よりストレートにセックスへと到達する、欲望の対象であり官能の対象だ。セックスの観念が、ヨーロッパに比べ機械的だと私は感じた。

 ヨーロッパのセックスはより感覚的で官能的だ。相手との人間関係がなければ成立しないからだ。ところが日本は、まるで工場の機械のような印象だ。誰か自分を喜ばせてくれる相手がいれば、ラブホテル(ちなみにラブホテルは、私の知る限り世界で日本にしか存在しない)で1時間の愛の交換作業を終えた後に、それぞれが自分の家に帰る。ヨーロッパとはまったく異なるプロセスだ。

 では、日本人の性生活をより豊かにするにはどうすればいいのか。私が思うにセクシャリティやエロス・官能の問題は、労働時間と密接に結びついている。

 労働は他の生活に大きな影響を与えるし、10時間会話なしに働けばいいのではない。たとえば別の話題を同僚と話しながら仕事をする。あるいはコーヒーを飲みながら30分余計に談笑する。仕事のないときは早い時刻に帰宅する。ところが日本では、たとえやることがなくとも、帰宅時間になるまで会社に拘束される。さらには仕事が終わっても、会社の人間関係に縛られ続ける。その間もエネルギーは消費され、私生活が犠牲になる。

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オール讀物2013年10月号

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