2023年11月5日未明、東京都新宿区の歌舞伎町で殺人未遂事件が発生した。被害者はホストクラブに勤務する男性(当時23)である。男性の首元をカッターナイフで刺した加害女性(当時25)は、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。
野次馬に撮影された犯行直後の動画がTikTokやInstagramなどの動画配信サービスで拡散され、世間の注目を集めたのは記憶に新しいところだ。加害女性が仁王立ちになり、血まみれになって倒れている男性を見下ろしながら「クソガキよ! お前、人のことぶっ壊してな! 舐めてんなよ、コラァ!」と叫ぶ様子は、あまりにもセンセーショナルだった。
本件の発生当初、犯行現場が歌舞伎町のホストクラブが多く並ぶ場所に近く、被害男性がホストクラブ勤務ということから、ホストと客の痴話喧嘩が原因と思われた。しかし、事件の続報を追いかけると、どうやら様子が違うことがわかってくる。この被害男性はホスト店勤務とはいえ、接客をする「プレイヤー」ではなく、内勤に従事する従業員スタッフであった。加害女性と出会ったきっかけは、ホストが客を勧誘する目的でよく使うライブ配信アプリ「toU」。2人はそのアプリを通じて知り合い、付き合うようになった。
つまり被害男性と加害女性の関係は、「ホストと客」ではなく「配信者と視聴者」だったのだ。拡散された動画では、加害女性が「半年で1800万円を貢いだ」などと叫んでいたことから、加害女性が「推し」と「繋がった」ことに起因する犯罪、という本件の特殊性が浮かび上がってくる。配信アプリを通じて知り合ったのち、2人は同棲したが、ともに生活するなかで男性は女性に対して壮絶なDVを日常的に加えるようになり、女性は肋骨を骨折したり、顔面を8針縫ったり、尿管を損傷したりするなどの重傷を負わされていた。DVに耐えかねての犯行と考えれば同情の余地もありそうだが、そこに至るまでの過程において、「半年で1800万円」にもおよぶ過度な搾取があったことは見逃せない。
また、2025年3月11日には、東京都新宿区高田馬場の路上で、ライブ配信中の20代女性が男に刺殺される事件が発生した。「殺人ライブ配信」とあって事件発生当初からSNSでおおいに話題となった。いわゆる「推しとオタク(配信者と視聴者)」の関係から殺人に発展したケースである。
被害女性の佐藤愛里(当時22)は、ライブ配信アプリ「ふわっち」で「最上あい」名義で活動し、2600人以上のフォロワーを抱える人気ライバーだった。熱心な視聴者であった高野健一容疑者(当時42)は彼女に多額の金銭的な支援をしており、「月に10万円ほど投げ銭をしていた」と供述している。高野は消費者金融から借金をしてまで送金し、さらに約250万円を被害女性に貸しており、「借金を返済しない佐藤さんが配信をして稼いでいくことにやりきれない気持ちになった」ことから犯行を思いたったという。当日、「最上あい」はライブ配信で「山手線徒歩1周」という企画を行っていたために、高野は彼女の居場所を特定することができた。ネットにおける「身バレ」のリスクを浮き彫りにするとともに、デジタル空間での「推し活」が現実世界の金銭や人間関係に深く影響を及ぼす現代においては、配信者と視聴者双方に、金銭の扱い方や関係性の構築において、より慎重な姿勢が求められることを痛感させられた事件であった。
「推し」のために「パパ活」で身体を売る少女
このほかにも、2024年3月30日から4月7日にかけて、歌舞伎町のトー横(新宿東宝ビル周辺)で警視庁が一斉補導を実施した際に、小学6年生を含む31人が補導された件も看過できるものではない。この一斉補導は、“メンコン”への立ち入りがはじめて実施された点でエポックメイキングであった。
メンコンとは「メンズ・コンセプトカフェ」の略称である。「コンセプトカフェ」(コンカフェ)は、特定のコンセプトイメージを持ったカフェの総称であり、たとえばメイド喫茶や執事喫茶などもコンカフェの一形態とされる。
男性キャストが女性客を“もてなす”のがメンコンであり、多くの店が「メンズ地下アイドル育成」というコンセプトを打ち出している。女性客は「プロデューサー」の役割を演じ、「アイドル候補生(=男性キャスト)をアイドルとして育てる」という設定に興じることになる。アイドル候補生に「投資」して人気者になれば、彼らはステージに立てるしくみだ。ステージといっても店側で用意した簡素な場で、こうした疑似的なシチュエーションを楽しむのがメンコンである。それだけ聞けば、まるで文化祭の模擬店やごっこ遊びの延長にあるような、微笑ましいイメージを抱くかもしれない。だが実態としては、警視庁が補導に入らなければならない場所になっていたわけである。
そもそもコンカフェはホストクラブと異なり、風俗営業許可を必要としない。このため、男性キャストは女性客に「接待」行為はできない。だが逆に、一般的な喫茶店と同様に18歳未満の客であっても店内に立ち入ることができ、また店舗としては深夜営業も可能である。そうした建て付けを逆手に取り、実質的には「未成年が安価で楽しめるホストクラブ」と化している。ホストクラブへの入口としても機能しており、口さがないホストクラブ関係者は「メンコンはホスクラのキッザニア」と語るほどだ。
なかには、中高生が「推し」の男性キャストのために60万円もするシャンパンを注文したケースも報告されており、しかもその金を工面するために、「パパ活」という名の売春行為に及んでいたことが発覚している。
警視庁の発表によると、新宿区歌舞伎町の大久保公園周辺で売春目的で客待ちする女性を売春防止法違反容疑で現行犯逮捕した人数は、2023年の1月から12月19日までの間で140人にのぼった。これは前年の3倍近い人数で、取り締まりを強化した2024年には88人(11月末まで)にまで減少したが、その周辺地域でも客待ちをする女性が確認されており、潜在化の傾向があることも指摘されている。彼女たちの犯行動機は、3割強がホストクラブで遊ぶためであり、それに次いでメンコンやメンズ地下アイドルの名を挙げる女性もいた。
そのうち生活保護の受給や就職の斡旋などのために福祉事務所に引き継いだのは、わずか13人だったというから、彼女たちの多くは貧困から生活費を稼ぐためにやむなく体を売っていたわけではなく、遊興費目的であったことがわかる。
このような事象は、トー横界隈に限った話ではない。大阪ミナミでは道頓堀の観光名所であるグリコの看板のすぐ下が通称「グリ下」、名古屋市中区のドン・キホーテの目の前にある栄広場が「ドン横」と呼ばれ、大都市の繁華街では同様の事例が散見された。なお、2025年現在、「グリ下」には長期滞在ができないように塀が設けられ、「ドン横」はビル建設のために閉鎖され、どちらからも往時の賑わいは失われている。
ホストクラブの女性客が高額な料金を請求され、売掛金(借金)を背負わされるケースは後を絶たず、被害者の低年齢化も懸念されている。2024年4月10日には、当時15歳の高校生の少女を客としてホストクラブに入店させ、未成年と知りつつシャンパンを提供したとして、歌舞伎町のホストクラブに勤務する22歳(当時)の男性が風営法違反(未成年者への酒類提供など)で逮捕された。少女は10回ほど来店し、母親のクレジットカードを使うなどして総額約600万円を同ホストクラブにつぎこんでいた。少女は高校入学前にトー横を訪れた際に容疑者の男から声をかけられ、それをきっかけにホストクラブに通うようになったという。「推し」のホストに貢ぐために、家族間窃盗にまで発展した事例である。
警視庁も「推し活」に警鐘
こうした事件の背景に「推し活」がある。私はこれまで長年にわたってエンタメ産業の現場を取材してきた経験から、「推し活」の市場規模が拡大し、その経済効果が日本のエンタメ産業全体の成長と進化に不可欠な存在となっている実態は、把握しているつもりだった。
だが、それと同時に疑問も浮かぶ。たとえば小学生がアニメのキャラクターグッズをバッグにつけたり、中高生がアイドルのコンサートに行ったりすることまでが、これらの水商売的なものと同様に「推し活」という言葉で言い表されている現状が、どうにも腑に落ちないのだ。そのような微笑ましい“楽しみ”と、前述したような事件は、同じ「推し活」という言葉で言い表していいものなのだろうか。近年は「推し活」を「人々に喜びと活力を与える文化」として称揚する風潮が強まっているが、その一方では「推し活」の果てに殺人未遂を起こしたり、売春をしたり、家族間窃盗をしたりしている人がいるのもまた厳然たる事実だ。
ホストやメンズ地下アイドルに熱中した若者が、行きすぎた「推し活」のために犯罪に巻き込まれる問題が深刻化し、保護者から警視庁に相談が相次いでいる。2022年10月には、警視庁少年育成課が未成年の保護者に向けて「メン地下『推し活』知ってますか?」と題したチラシを頒布し、「推し活」に警鐘を鳴らす事態にまで発展した。
そのチラシには「過剰な『推し活』は金銭の浪費、生活の乱れにつながります!」との過激な惹句が躍っている。昔であれば、未成年者が頭髪をリーゼントやパーマにしたり、制服を改造したり、バイクに興味を持ったりすると非行の兆候と思われていた。だがこのチラシからは、「推し」を持つことが、あたかも非行化の兆しと見なされているような印象さえ受ける。
2023年11月9日には、参議院内閣委員会で立憲民主党の塩村文夏議員が悪質ホスト問題について質問し、松村祥史国家公安委員長(当時)は「承知をしている」と答弁した。取り締まりが強化されたものの、問題は一向に解決の兆しを見せていない。
いまや「推し」は、誰にとっても身近な言葉である。一過性の流行や一部の特殊な人々の問題ではない。しかし、小中学生のささやかな「推し活」と、身を滅ぼすほどの出費をともなう「推し活」が地続きであり、その精神性において根を同じくするのであれば、私たちは「推し」とは何かを見極める必要があるだろう。
人びとが好意的に受け止めるような「よきこと」なのか、人生を狂わすほどの悪意が潜んでいるのか。「推し」が人の心を動かすものである以上、いつまでも無邪気に両手を上げて「推し」を推奨してばかりはいられない。
実際に、「推し」によって人生を大きく変える選択をした人びとがいる。彼ら、彼女らの言葉に耳を傾けることで、「推し」の何が人々の言動を病的なまでにエスカレートさせていくのかを探っていきたい。
「はじめに 病的なまでにエスカレートする「推し」」より






