3・11東日本大震災――あの日、「お前は今までいったい何をやってきたのか」と問いかけられた気がしました。私が災害を観るのではなく、「災害の側から私がじっと見つめられている」という、不思議な、しかし決定的な衝撃があったのです。
ちょうどそれは、25歳で自死を選んだ次男の洋二郎から「おやじは、病いや、生と死について書いているけれど、本当にギリギリのところにいる人間が見えているの?」と聞かれた時と同じような、強烈なショックでした。
私は70年代から医療、とくにガンを中心に「いのち」の問題を深く考えてきたつもりです。ところが、もっとも身近な、心を病み生死の境目に立っている人間の側から根源的な問いを突き付けられたことで、脳みそを掻き回されるような衝撃を味わった。この問いが後に、『犠牲〔サクリファイス〕――わが息子・脳死の11日』を書かねばという動機につながったのです。
この50年間、医療と並ぶ私のもうひとつの大きなテーマとして、不条理な死をもたらす巨大事故・災害の現場に立ち、現代の命の危機を考え続けてきました。75歳を迎え、集大成した本をまとめたいと考えていたのですが、日々の仕事に追われるうちに3月11日の衝撃に遭った。
「何をボヤボヤしているのか。今こそ、あらゆる被災地からの警鐘を伝えねば」と、湧き上がる思いにせかされ、この半世紀のルポルタージュの中から、現代に通用する視点と思想をもつものを選びました。
さらに5月には、福島第一原発の事故調査・検証委員を委嘱されました。現地に視察に行き、酷暑のなかで防護服を着こんで、あの無残に崩壊した原子炉建屋を足元から仰ぎ見たとき、あまりの破壊エネルギーに全身が凍りつき、決意したのです。