この状況を表現する言葉を、見つけなければならない。公的な調査の仕事とは別に、作家としての生命を賭けて、独自にじっくりと取材し書かなければならないと。
ですから、『「想定外」の罠』は、私の災害・事故論の決定版であると同時に、きたるべき最新作の序章でもあります。
この本には、東日本大震災についての文章はもちろんですが、チェルノブイリ、スリーマイル、東海村臨界事故から、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、そして広島・長崎の原爆関係の評論文も収録しました。1冊にまとめると、それらのすべてが今日の危機につながる文脈になっているので、自分でも驚くほどです。
その1つが「想定外」という言葉です。大津波や原発事故を語る際に、仕方がないという免罪符として「想定外」が使われていますが、こうした言葉を発する「専門家」たちの想像力のなさ、驕れる気持ちこそが怖いのです。この「想定外」の罠には、早くから気づいて書いています。
たとえば1968年の十勝沖地震で、本州との電話回線が通じなくなり、北海道が孤立。数時間にわたり、完全に壊滅したというデマ情報が流れました。原因は非常用電源が作動しなかったからで、まさに福島原発と同じです。
原子炉という本体には何重もの安全策が講じてあっても、非常用電源という周辺の小さな問題が「想定外」であるために、全体をぶちこわしにしてしまう。こうした現象を「辺縁事故」と名づけ、警告を発してきたのです。
「核と災害の二重被害」も、さまざまな被災地に通底するテーマです。
NHKの記者として最初に赴任した広島で、原爆の直後に枕崎台風に直撃されて2000人以上が亡くなったことに気づき、後に『空白の天気図』(文春文庫で復刊)を書きました。これも、津波と原発の被害にあった東日本大震災と同じ、「核と災害の二重被害」です。古来、自然は時に猛威をふるうものですが、そこに核災害が重なると、手が付けられない。
79年のスリーマイル島原発事故では、翌年にアメリカに現地取材にゆき、インタビューと事故調査資料によって、『恐怖の2時間18分 スリーマイル島原発事故全ドキュメント』(文春文庫)を構成しました。アメリカの徹底した事故調査のあり方は、福島原発にも大きな参考になります。
つまり、あらゆる災厄の現場が、次の時代への警鐘を鳴り響かせているのです。
残念ながら聞き入れられなかったという意味では、累々たる「警鐘の屍」の記録ともいえます。
しかし、半世紀分にわたる私の記録を通して読むことで、「この国の失敗の本質」を読み取ってもらえると思います。
思えば、1971年に『マッハの恐怖』で航空機連続事故について書いたモチベーションは、「これから新しい、大量死の時代が来る。危ない」という予感でした。
核の時代の危機感、巨大都市災害の危機感。これもみな、科学技術があるがゆえの大量死への予感です。残念ながらこの危惧は現実のものになってしまいました。
戦争でも、災害でも、事故でも、人間の命が奪われることに変わりはありません。統計にたよった議論ではこのことを忘れてしまう。
現場に立つ。
被害者に会う。
起きていることを、目の当たりにする。
一番大切なこの原点に立って、生涯ひとりのジャーナリストとして私は書いてきたし、これからまだまだ書いていきます。
私の人生の中間報告です。
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