“ろくろの名人”と呼ばれた加藤唐九郎は、明治三十年(一八九七年)生まれ。実家が瀬戸の窯元だったため、幼いころから作陶に親しんだ。
一時は作陶を離れたが、いつとはなしに再び陶の世界にまい戻り、持ち前の反骨精神から、瀬戸の旧態依然たる陶芸界を批判した。昭和八年(一九三三年)、瀬戸焼の祖とされる加藤四郎左衛門景正の実在を疑い、瀬戸焼の開祖ではないと主張、自宅に放火される。これが「黄瀬戸事件」だが、その後も陶芸界に波紋を投げかけた。
一時廃れた志野焼を再興、現代によみがえらせたが、
〈例の「永仁問題」(昭和三十五年、重文指定をうけていた永仁の壺は唐九郎作と自ら公表して物議をかもした)だけは少なからず痛手であったとみえ、爾来いっさいの肩書を捨て作陶に専念。やがて自分でも納得のゆく鼠志野『鬼ガ島』をものして天分の花を咲かせた。「人間たたかれれば強くなるもんじゃで。陶器でもキズがあったり歪んでいるのが自然の摂理にかなっていてそれが本物の芸術なんじゃ……」〉(『文藝春秋』昭和五十一年二月号)昭和六十年没。
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