12月に上梓した『藝人春秋』はボクが50歳になったことを記念し芸人を「引退」する覚悟で書き始めました。
ボクがビートたけしの存在に出会って現実という「この世」から飛び出し芸人として芸能界という「あの世」に身を置くようになって30年近く経ちます。その間、ボク自身が芸能人とはいえ、むしろ芸能界の潜入ルポライターを自覚して、その出会いと別れの物語を描いたのがこの作品です。師匠である北野武はもとより、松本人志、爆笑問題、草野仁、東国原英夫、古舘伊知郎、ホリエモン、テリー伊藤など綺羅星の如くの芸能人が織りなす星座のような人物伝ですが、偶然に見えることは全て必然で物語という架空の線で結ばれていきます。そこを書くことは常にボクのテーマです。
一応、この概念を説明しておくと、星座という言葉には「コンステレーション」という心理学的な用語と見方があります。ユングによればコンステレーション(星座を作る)とは「満天の星から特徴のある星をいくつか選び、糸でつないで星座を作りストーリイを組み立て自分をそこに投影して役割を演じようとするもの」と説明されます。転じて、「一見、無関係に並んで配列しているようにしか見えないものが、ある時、全体的な意味を含んだものに見えてくる」ことを言うらしい。それゆえ、「偶然の一致」という形で同時に起こった2つの出来事も、人生という星座のなかに「意味のある」こととして、きちんと位置づけられる――。
ボクは毎回根底にこのテーマをおいて書いていますが、今まで若書きで作品の理想にほど遠かったのが、今回はやっと到達点を超えたと思えました。
もともと、20年ほど前に高田文夫先生から「芸人の話を書いてくれ。おまえは書けるだろうから」と言われたことがボクが文章を書くようになったきっかけです。本当は芸人として1人前でもない自分がライブで伝えるべき芸を活字で芸論として説明することには凄く葛藤がありましたが、高田先生に言われたら断れません。先生が編集長の演芸誌に断続的に芸人の話を書くことになりました。ボクの文章は高田先生に褒められたくて書いているラブレターであり、それはボクが漫才をたけしさんに褒められたくてやっているのと同じことなんです。
それはさておき、10年ほど前の連載当時から単行本化の話は何度もありましたが、その都度理由をつけて断ってきました。ボクの中には、単に連載をまとめた「面白い本」では納得できない、これは「文芸」にしたい、という気持ちがあり、中でも、ご家庭の哀しい事情を押し隠して自虐的な芸を続けていた稲川淳二さんのエピソードなどは、その事情の決着がついていないまま1冊の本にはできなかったんです。
よく「おもろうて、やがて哀しき……」と言いますがテレビの「おもろう」の向こうの「哀しき」は、ライブで語るのは野暮であり、表現するには文章しかないと思います。テレビは広く伝えても深さへは迫れません。テレビをプールに例えれば、本は海に潜り、その深海の光景を伝えることです。
そして3年前、文春で電子書籍化の申し出がありました。ボクの考えでは、電子書籍は本とは別物です。モヤモヤしているものを並べ直せ、本に至るゲラ、通過点なら、と引き受けました。
そして、その作業中に、3・11を経験しました。
かつて原発PRの仕事をしたことを指弾され、「原発芸人」呼ばわりされたのは本当にこたえました。本当に引退しようと思い詰めました。しかし、偶然目にした、稲川さんが哀しさと向き合う姿を告白した新聞記事を見たそのとき、『藝人春秋』を本として出そう、と決意できたのです。
今回の執筆は、全ての文章が見えていて、何重にもかかった掛け言葉や音韻が聞こえ、テーマを表すフレーズを的確に選択できる「ZONE」の状態で書き終えることができました。『藝人春秋』とはもちろん、芸人の春秋=ジャーナルという意味で『文藝春秋』のパロディです。しかし、それだけではなく、中学時代の同級生で永遠の14歳、甲本ヒロトの体現する思「春」期。ポール牧、石倉三郎師匠らの老齢の芸人の醸し出す人生の「秋」もあり、「死」そのものも笑いの門のすぐ隣合わせにある境地にもかけています。藝人は、ときに文藝を超える深みを見せます。ボクは幾重もの意味をこのタイトルに込めました。
カバーの福井利佐さんの切り絵も「芸人の顔=仮面」の象徴、そして多くの読書人の水先案内人であり、この本で最後に描かれる児玉清さんに捧げる想いを込めお願いしました。今も「紙の本」に恩恵を感じてしまう50歳のボクと同世代の方に是非、本書を手に取って確かめていただきたいです。