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医師にして作家、“どくとるマンボウ”北杜夫のルーツ

医師にして作家、“どくとるマンボウ”北杜夫のルーツ

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 アララギ派の歌人である斎藤茂吉は、同時に東京・青山の大病院の二代目院長であった。苦学の結果、前院長の婿養子に迎えられた人だ。だから子供たちにも、勉学に励み医師になることを強く求めた。

 昭和二年(一九二七年)に茂吉の次男として生まれた宗吉少年は、父の歌に深く感動して「文学者になりたい」と望んだが、父に「父の歌など読むな」と一喝され、仙台の東北大学医学部に進むことになる。それでも文学への志を捨てず、「北杜夫」の筆名で小説を書き続けた。

 大学病院の研修医を経て、「海外を見たい」という動機から水産庁調査船の船医となる。その経験を書いた随筆「どくとるマンボウ航海記」(昭和三十五年)が大ヒット。同じ年に「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞し、一躍、人気作家となる。

 父に逆らい医師にならなければ、「北杜夫」も誕生しなかった。

「別册文藝春秋」昭和四十年六月号に掲載されたこの写真は、この前年発表された「楡家の人びと」のモデルである、実家の青山の病院(当時は兄の斎藤茂太が院長)で撮影された。いわば読者サービスだが、「自分の作家としてのルーツはここにある」と感じていたのも確かだろう。

 近年まで作家として活躍したが、平成二十三年(二〇一一年)十月、惜しくも世を去った。

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