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鹿島教授の掌の上、19世紀パリを踊る

鹿島教授の掌の上、19世紀パリを踊る

文:福島 知己 (社会思想史家)

『モンフォーコンの鼠』 (鹿島茂 著)


ジャンル : #小説

実在人物、史実の巧みなデフォルメ

 しかし本書は通常の意味の歴史小説ではない。バルザックがカストリ侯爵夫人から匿名のファンレターを受取るエピソードや、1831年11月11日のサン=シモン主義者バザールの棄教とそれに続くジュール・ルシュヴァリエのフーリエ派転向など、史実をなぞっている部分もあるが、読み進めていくと次第につじつまの合わないところが出てくる。アルフォンス・トゥスネルは7月王政の本質を「金融封建制」と看破した政治経済ジャーナリストであり、ユダヤ陰謀史観を唱えるトンデモ学者でもあった。そのトゥスネルが本書ではフーリエ派の事実上の推進役として地下世界で陰謀をたくらむ首領のひとり(!)なのだが、実在のトゥスネルがフーリエ主義に参加したのは30年代後半からで、フーリエとはたぶん面識もなかった。最初の実験共同体が建設された場所は実際にはパリ近郊のコンデ=シュル=ヴェーグルだが、1833年5月になってからにすぎない。

 このアナクロニズム(記時錯誤)が鹿島教授の策略なのは言わずもがなだが、それどころか、バルザックが1824年にオラース・ド・サントーバン名義で出したという触れ込みの3冊の本まで登場させているのだから恐れ入る。その3冊目の内容に相当する『金色の目の娘』が実際に執筆されたのは1833年からにすぎず、そのため現実のバルザックがやがて創造し鹿島教授が作中にすでに登場させているアンリ・ド・マルセー(ああ、ややこしい)は自分の行動が予言されていたのかと動揺し、バルザックに至っては、はて俺はそんな小説を書いたかと思い悩んだあげく、なんと続編の執筆に取り組むことになる。『金色の目の娘』は同性愛と三角関係の物語だが、それとフーリエの『愛の新世界』(実際にはその草稿は研究が進んでいなかった当時は知られていたはずがない)が重ねあわされて、現実の両者には描写されていない細部まで想像で補われているのだから、鹿島教授の妄想力はとどまるところを知らない。

 もちろんそれはよい意味なので、妄想力爆発が鹿島教授の真骨頂だが、その最たるものが生物学・土木学の高度な科学によって建設された地下都市で、およそ想像を超えた技術だが、理工科学校卒業生の仕業の一言で片付けられている。地下都市は現実のパリの模倣であるが、巧みなデフォルメによってあちこちの距離が収縮され、混濁させられている。それと同じで、時間の収縮と混濁があったところで不思議はない。逆に言って、ここで行われているのは、地下に作られたまがいもののパリを通じて、現実の世界をカシマ式に描く試みに他ならない。

 物語の終盤では、裏返された都市パリを体現するモンフォーコンの鼠たちが「種の思考」を発揮して地下世界を侵食する。もはや下手な解説などいらない。ここはひとつ、鹿島教授の掌で踊ってみてはいかがか。

モンフォーコンの鼠

鹿島茂・著

定価:本体2,000円+税 発売日:2014年05月23日

詳しい内容はこちら

鹿島茂×佐藤亜紀 対談「パリの下半身と魅惑の地下世界」

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