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高度成長期の多くの日本人の共感を得た芹沢光治良

高度成長期の多くの日本人の共感を得た芹沢光治良

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 芹沢光治良は明治二十九年(一八九六年)、静岡県駿東郡楊原村(今の沼津市)の網元の家に生まれる。実家は裕福であったが、四歳のときに父が天理教に入信し、伝道生活に入って家を捨てたため、叔父夫婦と祖父母に育てられた。

 苦学して中学を卒業した後、代用教員となったが、第一高等学校に入り、東京帝国大学経済学部に進む。卒業後は、農商務省に入省。農商務省を辞任し、フランスに留学するが、結核に冒され、昭和四年(一九二九年)帰国する。スイスの療養所を舞台にした小説「ブルジョア」が「改造」の懸賞小説に一等当選する。昭和十八年、「巴里に死す」を刊行。戦後、フランス語に翻訳され、フランスでベストセラーとなる。これにより、日本よりも海外で知名度が高まった。

 昭和三十七年から刊行が始まった自伝的大河小説、「人間の運命」は一九六〇年代、広く読まれた。沼津の漁村で生まれた主人公次郎が、苦学して帝国大学を卒業、官僚となり、フランスに留学、作家として名を成すまでを描いた。日本が近代化に突き進む中で、貧困と戦火に苦しんだ大衆のあり方を問い、高度成長期の多くの日本人の共感を得た。芹沢は終生、この作品に直しを入れ続け、増補改訂を重ねた。

 昭和四十年、川端康成のあとをついで、第五代日本ペンクラブ会長に就任した。平成五年(一九九三年)没。写真は昭和三十三年撮影。

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