2012.07.27 書評

市民のための福音書

文: 池内 紀 (ドイツ文学者・エッセイスト)

『光線』 (村田喜代子 著)

 原発、地殻変動、ガン、食の不安、老い。いずれもとびきり現代的な問題であって、誰もがひそかに感じている。昨日と変わらぬ日常を念じながら、突然ガラリと破局が訪れかねないことを知っている。意識するとしないとにかかわらず、現代に生きているかぎり、何が起きても不思議はない。人にできることは、さしあたり忘れていること。あるいは忘れたふりをしていること。『光線』は8つの短編を収めている。200ページあまりを8で割るとどうなるか。1編が20ページとちょっと。そのなかに現代的な問題が、そっくり封じこめてある。ガン・原発・地殻変動……。どうしてそんなことができるのか?

 むろん、村田喜代子が並外れて優れた作家であるからだが、それだけではない。このたびは1つの「好運」があずかっていた。あとがきに明示してある。はじめは「地の霊力」といったぼんやりとしたテーマでとりかかった。2つ書いたところで、2011年3月11日、東日本の大地が大きく揺れて、海がやにわにもち上がった。入念につくられていたはずの原子力発電所が白煙を吹いてはじけた。その数日後、ガンの疑いが現われた。

【次ページ】類のない帰還報告

光線
村田喜代子・著

定価:1575円(税込) 発売日:2012年07月12日

詳しい内容はこちら