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渋沢栄一晩年の慈善活動

渋沢栄一晩年の慈善活動

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 明治近代以降、日本の資本主義を育てたといわれる渋沢栄一。昭和六年(一九三一年)九月六日に飛鳥山の邸宅で撮影された写真で、中華民国水害同情会慰問募集講演をラジオで放送した時のものである。晩年、社会事業に力を入れていた渋沢の熱意に応じて、当時のNHKとしては、初めて局外に機材を持ち出しての放送となった。

 体調不良だった渋沢は、十月には腸閉塞を起こし、十一月に九十一歳で亡くなる。

 長男の篤二(左から三人目)は学生時代のスキャンダルが原因でながらく廃嫡されていたが、看病のため日参していたという。その篤二も翌年十月、六十一年の生涯を閉じる。〈篤二は『巨人』栄一の重圧から逃げるため、放蕩に走った悲劇の人物だった〉(「渋沢家三代」佐野眞一著)

 葬儀が行われた青山斎場から埋葬された谷中の寛永寺までの沿道には、故人を偲ぶ四万人を越す人々が参列したという。

 ラジオ放送のあった同じ九月に満州事変が勃発、日本は長い戦争の道のりを歩みだす。

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