京都の代表的な名勝である嵐山。出講先の京都市内にある大学で、学生たちに嵐山はなぜ嵐山なのかと問うてみる。
誰もがこれを「あらしやま」と呼んで疑わないのだが、この「あらしやま」の意味で思いあたるのが「吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ」(古今和歌集)の句で、これに従えば嵐山は、吹きおろす風が強い山ということになる。然るに、嵐山で強い風に吹かれたかと尋ねると、手を挙げる学生は決まっていない。
そこで、私は手順として学生に電子辞書を引かせて読ませる。「(1)山にたちこめる青々とした空気。山中のもや。山気」。「嵐」を「あらし」と読むのは、字づらから生じた日本人の全くの誤解なのである。つまり、「嵐山」とはこの霧に包まれる山の意に他ならない。
嵐山は保津川下りの終着地で、一歩裏に踏み込めば深山幽谷の仙境となり、古人はそれをさしてかく名づけたものであろう。従って、「あらしやま」と呼ぶのは誤りで、あくまでも「らんざん」と呼ぶべきものなのである。これは、学生たちに漢字に興味をもたせるために準備する、私の出しネタの1つ。
ところで、香道という香木を焚いて楽しむ芸道があるが、香道では香りを嗅ぐことに「聞く」の語を用いる。
「嗅」のもとの字は「臭」で、のちに「嗅」ができ、「におう」と「かぐ」が区別されるようになった。「聞」にはほぼ同義である「聴」があり、「聴」は神の声を聴くことを原意とし、「聞く」は特に門外の音を聞くの意味があったという。
今日的な活用法では、「臭」と「嗅」、「聞」と「聴」との関係は、前者が受動的であるのに対して後者が能動的であることで共通し、「見」と「視」の関係にもあてはまる。そして、中国ではこの「聞」の受動性が広がって、においを嗅ぐことにも使われるようになっていった。その例を挙げると、晩唐の詩人である李商隠の句に、「落時独自舞、掃後更聞香(落つる時独り自ら舞い、掃くの後更に香りを聞く)」とあり、日本でも近松門左衛門の『浦島年代記』に「酒の香聞けば前後を忘るる」とある。
察するところ、「臭」とは「自ら犬となる」ことであり、臭気は総じていい意味には用いられない。香りとはこれに反してここちよい意味の語であって、「聞」が「臭」に対する上品な形容の語として使い分けられたのだろう。現代中国においても「聞」は「きく」よりも「におう」の意に使われることが多く、「香りを聞く」は当り前の語法であり、その転化された語法が、室町時代に日本に伝承された。
日本では「聞」はあくまでも「きく」が主流である。これを「におう」の意味に用いるのは香道のみに限られる。つまり、中国とは逆転の現象にあって、日本の方が「聞」の古来の意味を、一貫して用いているということになる。
こんな漢字がもつ意味のいりくみを、原意に遡って詳しく説いてくれているのが、これから文春新書で刊行される張莉氏の『五感で読む漢字』である。題にあるとおり、視・聴・嗅・味・触の五感にまつわる漢字について、それらの一点一画がいかなる意味を込めて組み立てられているかを解き明かしたもので、「漢字を通して、人間の五感の深層心理の謎解きができないものか」といい、また「古代中国人の生活や喜怒哀楽をひもとく」ともいう。
張莉氏は天津師範大学の出身で、のち日本に留学し、大学院の修士課程を奈良教育大学、博士課程を京都大学で過ごし、また書法・書学から文字学に転向した若き学究者である。本書の特徴の一つに、文中の百数十字に及ぶ甲骨文(殷代)、金文(周代)、小篆(秦代)の字例が、すべて著者の自筆になることがある。甲骨文には天に問う文字としての精霊、金文には古代王朝の尊厳、小篆には秦始皇帝の覇者としての格調が込められている。コンピューターのフォントではそれが伝わらないことを察した著者が、あえて素養を生かして実践した良識である。
また著者は「『五感』の関連文字の中には古代中国の社会を反映した文字があり、現在の意味とまったく異なったものもある。これによって、現在の我々とは異質で何か不思議な世界を垣間見ることができ、逆に現在の自分の考えや情念につながる根拠を強く認識することもあった」といい、「人間が本来有しているはずの『五感』が、デジタル的な知性によって生命の外に追いやられてしまった」ともいう。
本書は単に漢字の知識を詳しく伝えようとするものではない。漢字が創生され組み立てられる過程とは、いかに人間の生命の根源をなす五感とかかわるものであったかを、生き生きとしたタッチで解き明かしてくれるものでもある。
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