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常に真剣勝負で歌い続けた東海林太郎

常に真剣勝負で歌い続けた東海林太郎

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 東海林太郎は明治三十一年(一八九八年)秋田県生まれ。父が満鉄に勤めていたため、祖母に育てられ、バイオリンに魅せられる。音楽家を志したが父の反対にあい、断念。早大に進学し、商科で経済原論を学ぶ。満鉄に入社するが、勤め人には向かないと悩んだすえに、昭和五年(一九三〇年)、退職して帰国する。都内で弟と中華料理店を営むが、商売に行きづまる。その時、コーラス・グループの欠員の穴埋めにさそわれ、歌手の仲間入りを果たした。キングレコードの専属になった後、昭和八年、ポリドールとも専属契約を結んだ。

 翌年発売された「赤城の子守唄」「国境の町」が大ヒットして、流行歌手としての地位を占めた。ロイド眼鏡に燕尾服、独特のヘアスタイルで不動の姿勢で歌う姿は一世を風靡した。「野崎小唄」「椰子の実」「麦と兵隊」「名月赤城山」「ハルピン旅愁」と澄んだバリトンで名曲を数々ヒットさせた。戦争中は、テイチクに移籍し、「ああ草枕幾度ぞ」「戦友の遺骨を抱いて」などを発表。

 戦後、GHQに「かつてのヒット曲が軍国主義復活に繋がる」と評価されたため、不遇の時代が続いたが、次第に地方公演で人気を回復した。昭和三十八年、日本歌手協会初代会長に就任。

〈わたしはファンが喜ぼうが、喜ぶまいが歌う。結果は論ぜずだ。わたしが歌う場合、聴衆は眼中にない、歌った結果がウケたか、どうかも知りたくもない。わたしは堂々と自分の死力をその歌に尽して歌う、ただそれだけです。
 若い連中はからかうけど、わたしが燕尾服を着て歌うのも、そうした自分自身の真剣勝負の場にいるという自覚を、聴衆に対して威儀を正して歌うという意味であって、別に媚びて着ているんじゃないのです〉(「文藝春秋」昭和四十四年三月号「今の歌手はみんな落第」より)

 昭和四十七年、脳出血で倒れ、逝去した。

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