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長谷川伸は、多くの門下生を育て上げた

長谷川伸は、多くの門下生を育て上げた

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

「沓掛時次郎」などの作品をはじめ「股旅物」というジャンルを作り上げた長谷川伸は、本名長谷川伸二郎。明治十七年(一八八四年)、横浜に生まれる。実母は夫の放蕩が原因で伸が三歳のとき、家を出た。家が貧しく、小学校三年生で中退して船渠に勤めるようになる。住み込みの使い走りなどするうちに、港に落ちている新聞のルビを読んで漢字を覚えた。大工や石屋の見習いを経て、好きだった芝居の劇評を新聞に投稿し、それが縁で明治三十六年、新聞社に雑用係として雇われる。明治三十八年、徴兵され、除隊後横浜毎朝新報に入社。明治四十四年、都新聞の記者となり、演芸欄を担当する。

 大正の初め、山野芋作の名前で小説を発表し、大正十三年(一九二四年)から長谷川伸として作品を描く。

 大正十四年、都新聞を退社、作家活動に専念するが、小説が書けなくなり、脚本を手がけるようになる。そして「沓掛時次郎」などヒット作を手がけ、劇作家としての地位を築いた。昭和八年(一九三三年)には、名作「瞼の母」の主題となった実母と再会を果たした。

 昭和十五年、村上元三、山岡荘八、山手樹一郎らと十五日会を結成。これがのちの勉強会「新鷹会」の母体となる。「新鷹会」の門下生には、長谷川幸延、戸川幸夫、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎、武田八洲満など俊英が名を連ね、多くの直木賞作家が輩出した。昭和三十八年没。写真は昭和三十六年撮影。

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