書評

4つの事故報告書を徹底検証する

文: 塩谷 喜雄 (科学ジャーナリスト)

『「原発事故報告書」の真実とウソ』 (塩谷喜雄 著)

 2年前の3月11日から21日までの間に、福島第一原発で発生した事故は、史上初、隣り合う複数の原発が同時多発的に損壊した、連続過酷事故である。

 巨大原発事故とされるスリーマイルもチェルノブイリも、事故で壊れた炉は1つだけだ。フクシマでは3つの原子炉でそれぞれ、炉心核燃料集合体が溶けて落下(メルトダウン)した。核燃料は未だ行方不明のまま、人間のコントロールの外にある。

 定期点検のために核燃料が炉から引き抜かれていた運転停止中の4号機まで、水素爆発で建屋が吹き飛び、大量の核物質が傾いて崩れかけた燃料貯蔵プールに大集合している。欧米の専門家が最も恐れる核の暴走というリスクが、今もそこにある。

 世界の原発史上初めての3基連続の過酷事故、4基連続の致命的損壊が、原子力技術先進国を自称してきた日本で起きた。このことの持つ意味について、世界で最も理解が遅れ、認識が最も浅いのが、ほかならぬ日本社会ではないだろうか。

 日本人が自ら、この事故の本質を見極め、世界に向けて発信しなければ、チェルノブイリ事故後に沈黙したソ連のように、国際的信用を失い、国の存続にもかかわる事態を招きかねない。

それぞれ異なる主張

 重要な使命を帯びた、事故調査・検証委員会が、民間、政府、国会と3つも並走し、これに当事者企業東電の事故調も含めて、4つもの事故調査報告書が世に出ている。

 フクシマの真実を明らかにするという、建前上のミッションはみな同じだが、それぞれ独自の隠れた使命があるようにもみえる。実際に報告書を読み比べてみると、行間から漂ってくるにおいや味わいはずいぶん違う。

 民間事故調の報告書は、いたるところで国際感覚を強調している。国際原子力ビジネスと核不拡散の世界戦略で、重要なパートナーである日本に対する「米国の心配」が、よく伝わってくる。水で割らないアメリカンの香り、といえるかもしれない。

 民間事故調は調査に東電の協力が得られなかった結果、圧倒的な物量の「東電情報」に縛られてしまった他の事故調に比べ、責任企業東電に対する最も適正な距離感を得たといえる。それが、全員撤退問題などでは、矛盾だらけの東電の言い分を厳しく退ける合理的な結論となって結実している。

 政府事故調は、事態の推移を丹念に、取りこぼしなく、追っているものの、 全て並列的で、価値づけを意図的に回避している。学究と法曹とジャーナリストのコラボなのに、手抜かりがない代わり、特段に踏み込んだ指摘もしない、というお役人臭さがかなり濃い。

 お役所風の膨大な「羅列」の1つに、同程度の地震・津波を受けながら、何とか冷温停止している福島第二との徹底比較がある。その比較で、福島第一における地震・津波後の事故対応に基本的欠陥があったことが浮き彫りになった。全電源喪失時のマニュアルが、全くものの役に立たなかったことなど、備えのお粗末ぶりも、お役所風羅列の中からみえてくる。

 国会事故調の報告書では、大向こう受けを意識した「けれんみ」をたっぷり味わえる。規制する側の経産省や安全委が、規制対象の電力会社の「虜」になっていたとする結論は、さしずめ、委員長が花道できった大見得か、満場をわかせる宙乗り、といえる。

 地震や津波と、3基連続の過酷事故の関係を解き明かし、大量に放出された放射性物質の影響を緻密に評価するという、科学と技術の解析では、国会事故調の仕事は他の事故調を圧倒している。世界に発信すべき質を持つ。

 惜しむらくは、官邸の介入や全員撤退問題では、事実や蓋然性の検証抜きで、菅政権をただ論難し、結果的に事故責任者の東電を擁護している。これが、当時の野党、自民党の肝いりで発足したという出自の縛りだとすれば、残念というほかない。

「ぼくちっともわるくないもん」と繰り返す東電事故調報告は、「言い訳坊や」の乳臭さが、異臭となって胸を悪くする。看過できないのは、東電の規定する「事故の概要」には、外部への放射性物質の大量放出という項目が、まったく欠落していることである。一言半句の記述もない。

 10数万人に理不尽な避難生活を強いている事象を無視して、自社の原発プラントが壊れた事だけが「事故」だと語る東電事故調報告からは、地域独占の無残な品性が見て取れる。

 この間、原発事故報道では、紙面と画面を半可通の知ったかぶりが跋扈した。なぜを問うジャーナリズムと、なぜを究めるアカデミズムが、ともに衰弱した結果である。復活を切望する。

「原発事故報告書」の真実とウソ

塩谷喜雄・著

定価:788円(税込) 発売日:2013年02月20日

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