大田区六郷の民家で老夫婦の刺殺死体が発見された。被害者の老人は年金や家賃収入で生活しながら好きな競馬に通いつめ、そこで知り合った仲間に数万円から数10万円の金を貸していた。現場の小型金庫から手書きの借用書が見つかり、一部が抜き取られた形跡があるところから、蒲田署の捜査本部は借金をした競馬仲間の犯行とみて捜査を進める。
この事件と並行して、23年前に根津で起きた女子中学生殺害事件が、最上の回想形式で語られる。最上が学生時代に住んでいた寮の管理人夫妻の一人娘が自室で殺された。松倉重生という男が有力容疑者として浮上したが、証拠不十分で逮捕には至らず、事件は迷宮入りした。水野という元寮生の雑誌記者がその後も執念深く松倉を追いつめたが、やがて時効が成立した。
蒲田の事件の参考人リストに松倉の名を見出したとき、最上は運命的なものを感じると同時に、水野から執念のバトンを手渡されたような気がした。今度はなんとしても松倉に罪の償いをさせなければならない。政治家になった学友が義父の政治資金疑惑をかぶって自殺したことが、最上の思いをさらに深める。
別件で逮捕された松倉は、すでに時効の成立した根津の事件についてはあっさり犯行を自供した。しかし、今度の事件については、死亡推定時刻後に自転車で現場付近をうろついていたという目撃証言があるにもかかわらず、頑として犯行を否認した。身柄送検後の取り調べに対しても、松倉の供述はまったく変わらない。
沖野検事のこの取り調べ場面には、綿密な取材に裏打ちされた圧倒的なリアリティがあり、なるほど冤罪はこうして作り上げられるのだと納得させるだけの臨場感と説得力がある。
やがて新たな容疑者が浮上する。弓岡という競馬仲間が酒場で犯行を臭わせるような自慢話をしていたというのだ。このままではまた松倉を取り逃すことになりかねない。思いあぐねた最上は、ついに検事としてはあるまじき道へ足を踏み出すことになる。こうして物語は最後のヤマ場を迎えるのだが、ここでこれ以上内容に立ち入るのは、ミステリー読者の「知らされない権利」を侵害することになる。
この作品は、ありきたりの悪徳検事物でもなければ奇をてらった法廷物でもない。現行の司法制度がかかえるさまざまな問題を2人の検事の関係の絶対性として描いて読者の深い共感を誘う、すぐれて社会的な司法ミステリーである。『弁護側の証人』が日本の法廷ミステリーを変えたように、この作品は日本のリーガル・サスペンスの新しい里程標となるだろう。
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