山裾に珍しく、竹林が広がっていた。農家が、点在している。街道沿いには、半農半商の人家が申し訳程度に軒を並べていた。店先などなく、白い障子のある縁側と暗い土間が道に面しているのだった。鄙びてはいるが、夕景がざぞ美しいだろうと思わせるような雰囲気が視界にあった。
――「木枯し紋次郎」シリーズの「木枯しの音に消えた」の一節だ。日光裏街道の足尾の近く、神戸(ごうど)という村の風景。殺伐とした物語とは裏腹に、ぶっきらぼうなタッチで描かれた一幅の絵のような文章には、池波正太郎とも、藤沢周平とも異なる、「生々しさ」という魅力がある。
昭和五年(一九三〇年)生まれ。関東学院高等部を卒業後、郵政省東京地方簡易保険局に勤務しつつ執筆をはじめ、昭和三十五年に『招かれざる客』でデビューし、専業作家となった。勤勉と多作・多ジャンルで知られ、ピーク時には月産千五百枚、著作は三百八十冊にせまるという。
初期には本格的なミステリー小説や、男女の心理をテーマとした現代小説で人気だったが、昭和四十五年に「見返り峠の落日」で時代小説にも進出。翌年から始まった「木枯し紋次郎」シリーズは市川崑監修・中村敦夫主演でドラマ化され、「あっしには関わりのないことでござんす」という流行語とともに大ブームとなった。
国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが始まったのが昭和四十五年。寅さんが全国を放浪する「男はつらいよ」シリーズが始まったのが昭和四十四年。欧米でバックパッカーが流行し始めたのも昭和四十年前後だ。「股旅もの」の人気は、時代小説の面白さだけでなく、世界的な「大旅行時代」にも支えられていたのだろう。
写真は平成七年(一九九五年)十二月号の「オール讀物」のグラビア撮影時のもの。ガン闘病を乗り越え、東京から佐賀に移住し、同誌に八年間にわたって連載した大長編『宮本武蔵』の最終部分を執筆しているころだった。
亡くなったのは平成十四年、七十一歳。大きな文学賞とは無縁だったが、常に新しいジャンルや手法を開拓し、森村誠一、有栖川有栖らにも大きな影響を与えた「無冠の帝王」だった。
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